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「呉銀善はンチェンジュンガ登頂に成功」 憧れのメスナー氏が評価

「呉銀善はンチェンジュンガ登頂に成功」 憧れのメスナー氏が評価

Posted May. 11, 2010 07:10,   

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呉銀善(オ・ウンソン)氏(44=ブラックヤック)が、本格的に登山を始めたのは、水原(スウォン)大学2年生だった1986年からだ。1年生の時、大学山岳部に入部した呉氏は、翌年北漢山(プカンサン)の仁壽(インス)峰に登り、登山に夢中になっていった。

呉氏が一端の登山家になったころ、人類初ヒマラヤ8000m以上の全山登頂に成功した偉大な登山家が登場した。彼の名前はラインホルト・メスナー氏(66=イタリア)。メスナー氏は、呉氏にとって憧れそのものだった。24年後、呉氏がメスナー氏に会った。長年の「憧れ」に会った呉氏は、「女性初の14座制覇」という歴史の主人公になっていた。

メスナー氏と呉氏の出会いは、男性初と女性初の出会いということから、世界の登山家らの関心を集めた。メスナー氏は6日、カトマンズで開かれた呉氏の登頂成功記念式典に出席こそしなかったが、8日に呉氏に会って9日の自分が主催した環境シンポジウムに呉氏を招いた。

メスナー氏は、「呉銀善は、15ヵ月で8000mの8峰に登頂して有名になった」と述べた。そして、呉氏が07年5月チョ・オユー(8201m)をはじめ、08年10月マナスル(8163m)まで8峰を登り、女性初の14座制覇を果たしたことを高く評価した。さらには「男性より偉大な登山家」とまで評価した。

論争となっている呉氏のカンチェンジュンガ(8586m)の登頂について聞いた。呉氏の説明を聞いたメスナー氏は、「呉銀善が登頂に成功したに違いない」と認めた。

カンチェンジュンガについて、「私の観点からすべてが当てはまる。当時、確かに頂に立つまでには、至らなかったかもしれない。ところが、吹雪に遭ったならば、正確な頂上を見つけられなかっただろう。そのため、数メートルを進められなかったかもしれないが、それでも登頂は登頂だ」と語った。

呉氏が、カンチェンジュンガ頂上の正確な頂点に立っていなかったことは自らでも認める部分だ。メスナー氏は、悪天候のため、頂点を踏み損ねたとしても、頂上として認める国策的な慣例に触れ、呉銀善の14座制覇を認めた。



hanwshin@donga.com