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80年代に韓国人たちが東ドイツ経由で訪朝 旧東独機密文書で判明

80年代に韓国人たちが東ドイツ経由で訪朝 旧東独機密文書で判明

Posted April. 15, 2010 08:09,   

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80年代末、韓国人が旧東ドイツの北朝鮮大使館の斡旋で、秘密裏に北朝鮮を訪朝したり、第3国で北朝鮮関係者と接触していたことが明らかになった。東亜(トンア)日報が、米ワシントンの外交安全保障シンクタンクのウッドロー・ウィルソン・センターを通じ、13日に入手した旧東ドイツ秘密警察シュタージの機密文書には、韓国内の一部の人々の極秘訪朝と北朝鮮関係者との接触の様子が、赤裸々に書かれてある。資料はドイツ語で書かれた文書6点。

韓国人が東ドイツ経由の訪朝協力は、87年9月に始まった。24日付の機密文書には、「韓国人が、東ドイツの国境を越える際の機密維持の協力要請は、北朝鮮の秘密組織が東ドイツのハインツ・ヘラルド保安局長官宛に送る公文書、または内部のセキュリティー電話で、シュタージの○局に要請する形で行われる」と明示されている。このような業務要請が可能な北朝鮮側関係者は、当時、駐東ドイツ北朝鮮大使館に勤務していた朴インホ、金スイル、ハン・ソンサム、ペク・ムンドに限定される。

金スイルは当時、大使館1等書記官の肩書を持ち、英語を駆使し、ペク・ムンドは、ドイツ語を使い、電話番号まで明記してあった。朴インホとハン・ソンサムの所属と職位は伝えられていない。

同文書は、彼ら4人の要請でない場合、業務要請をするなと命じ、確認する場合は、ベルリンの北朝鮮大使館にセキュリティー電話をかけ、金スイルかペク・ムンドと必ず話すよう求めた。事前の業務要請ができる対象は、韓国のほかに、日本やその他の非共産圏国家、または非共産圏のパスポートで旅行する韓国人と指摘した。

事前の協力要請をする場合、シュタージは、東ドイツに入国した事実や東ドイツを経由し、北朝鮮を訪朝した事実を示す資料を残さないため、入国スタンプを押さなかった。また、一般人が東ドイツに入国する時、通過しなければならない税関の手続きも免除した。文書は、このほかに出国手続きが遅れたり、警察が発行した出国証明がなくても、問題視しないよう命じた。ただ、パスポートのコピーは保管された。

実際、本紙が入手した89年4月の文書によると、89年3月30日、2人の韓国国籍の親子が、ソウルを出発し、スイスと西ドイツ、東ドイツを経て、平壌(ピョンヤン)に入った。彼らは、同じ経路で、4月13日に東ドイツの国境を密かに渡り、西ドイツのフランクフルト、スイスを経由し、ソウルに戻ったと書かれてある。朴スイルが署名した協力要請の公文書に出てくる2人の名前と生年月日、パスポート番号は消されてあった。88年5月31日付の文書も、韓国国籍でスイスのパスポートを所持するある旅行客が、5月30日に西ドイツを通じ、東ドイツに秘密裏に入った事実を示している。名前と生年月日、パスポート番号などは、やはり消された状態だった。

シュタージ機密文書保管所で、同文書を発見したウィルソン・センターのベルント・シェーファー上級研究員は、「文書に登場する韓国国籍の父親と息子に対し、北朝鮮では『南側にいる同志』という表現を使った。韓国で密かに活動した朝鮮労働党かスパイという疑いを抱く」と話した。



triplets@donga.com