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[オピニオン] 賞と罰

Posted April. 03, 2010 03:31,   

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過去の学校教育は「懲罰」中心だった。遅刻をしても罰、手をきれいに洗わなくても罰、環境美化に反しても罰、授業時間に居眠りをしても罰、すべてが罰だった。良い行動に対する褒賞よりも、悪い行動に対する処罰を教育と集団統率の準拠にしたわけだ。しかし、今は賞を与える傾向にある。罰を与えるよりも効果がいいと信じるためだ。米ハーバード大学のデービッド・ランド教授チームの実験も、これを立証する。一つのチームは作業が下手な人に罰を与えることを中心に、もう一つのチームは、作業がうまい人に賞を与えることを中心に実験をした結果、後者の成果が良かったという。

◆元企業家のブルームバーグ米ニューヨーク市長は、賞を与えることを市政に取り入れた。たとえば、職場に皆勤すれば150ドル、学校の出席がよければ25〜50ドルを与えるという具合に、貧民層市民の「良い行動」に金銭的な褒賞を与えることで、彼らを変化させるという試みだ。この2年間で約2400の貧困層世帯に1400万ドルが支給された。しかし、効果はわずかだった。生活水準が良くなった世帯は16%にすぎなかった。元々学校生活に誠実でなかった生徒は、褒賞を与えても特に変わらなかった。そのため今、同計画が中断の危機に直面しているという。

◆ブルームバーグ市長の前にニューヨーク市長を務めたジュリアーニ氏は違った。「赤信号で横断歩道を渡る人を防ぐことができなければ、強盗も防げない」というのが、彼の所信だった。ジュリアーニ氏は、小さな過ちに対しても厳格に罪を問う「非寛容」を市政の原則とした。車のガラス破損、落書き、無賃乗車のような軽犯罪まで、隅々まで取り締まって厳しく処罰した。効果は大きく、殺人などの凶悪犯罪が50%ほど減った。罰を与えることが、「犯罪の都市」ニューヨークを変えたのだ。

◆中国の古書「韓非子」の「姦劫弑臣篇」には、「賞を受けて利益を得ることと、罰を受けて害を被ることを天下に広く知らしめることが、賢明な君子がすべきことだ」という一節がある。国を治めるには、賞を与えることと罰を与えることのいずれもが必要で重要だという意味だ。また、「荘子」在宥篇には、「大きな天下でも、賞を与え罰を与えるには不足だ」という内容があった。いくら賞を与え、罰を与えても、人が自ら変わらなければ何の効果もないという教えだ。そのため、人の心を動かさなければならない政治は実に難しい。

李進寧(イ・ジンニョン)論説委員jinnyong@donga.com