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[社説]「国のために戦い、犠牲になった兵士たち」

[社説]「国のために戦い、犠牲になった兵士たち」

Posted March. 31, 2010 03:08,   

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天安艦で捜索・救助作業に取り組んでいた海軍特戦団(UDT)隊員のハン某准尉が失神して治療を受ける途中で死亡した。ハン准尉は、仲間らと一緒に現場の強い流速や高い水中圧力など、厳しい環境の中で救助作業に当たって事故に遭った。救助作業は、1ヵ月の中で一番流速が早いと言われる時期に激しい潮流との死闘だった。胸が痛み、残念でならない。戦友を助けるために必死に努力する途中で、命を失った故人の冥福を祈る。

救助隊員は生命まで奪われるほど危険な作業を継続しているが、海水の速い流れや大気より14倍も強い抵抗のため、船体への進入作業は失敗を重ねた。軍潜水要員2人が水圧に耐え切れず失神した。海難救助隊の指揮官は、「ここは潮流の速度が3〜4ノットに達するため、まるで台風が吹きすさぶビルの上に立っているような感じだ」と話した。

真夜中にも探照燈を日中のように灯しておいた光陽(クァンヤン)艦の周りで、UDTと海難救助隊(SSU)の隊員は命がけの潜りを続けた。光を当てられた海は信じられないほど静かだった。冬物の厚手のパーカーを着ているのに、手が凍えた。海の中はもっと冷たいだろう。天安(チョンアム)艦に閉じ込められている軍人の生存可能時間は過ぎたものの、諦めるわけにはいかなかった。

艦尾は沈没水域から約300メートル移動した地点で発見された。潮流に流される間、数回ひっくり返されただろう。閉じ込められているのが私だとしたら、孤独や寒さ、飢え、喉の渇きに耐えることができるだろうか。遺族や戦友らは嗚咽するが、閉じ込められている者はそのような力さえない。

日中の海は暴雨で水位が高くなった河川のようにうねうねと流れていた。UDTとSSUの隊員らは、光陽艦から降ろしたロープにゴムボートを縛り付けて作業に取り組んだ。周りには独島(ドクド)艦、聖人峰(ソンインボン)艦、束草(ソクチョ)艦などが浮かんでいる。空には海軍のチヌーク・リンスヘリ、海洋警察のピューマヘリ、空軍のHH−60ヘリが飛んでいた。

東側へ約6.5キロ離れているところには、天安艦の艦首部が沈んでいる。北朝鮮により近い場所であるため、機雷探索艦の甕津(オンジン)艦と機雷除去任務を遂行するUDT隊員が乗ったゴムボートが、隠されているかも知れない機雷を捜索している。外郭には海兵特殊部隊員を乗せたゴムボートが巡回していた。絶壁から飛んできたウミネコだけが無心に鳴いていた。

李明博(イ・ミョンバク)大統領は、独島艦で将兵らの労をねぎらい、「最前方の分断地域である北方境界線(NLL)に勤務している海軍は、戦時体制で戦争に参加する兵士と一緒だと思う。最前方の危険地域で国のために戦闘に参加して犠牲になった兵士と同じと認め、それ相応の待遇をしなければならない」と話した。

3日前、艦尾が発見されて以来、捜索に一筋の希望を寄せて、気を揉みながら待っていた行方不明者の家族はもう疲れきっている。食事を取らないまま、夜明かしを続けたため、失神したり気力がつき、病院へ運ばれる家族も続出している。救助作業を焦りながら見守っている国民は行方不明の兵士が奇跡のように生還してくることを切に願っている。