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[オピニオン]座長

Posted February. 20, 2010 09:21,   

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故金東英(キム・ドンヨン)元議員と崔炯佑(チェ・ヒョンウ)元議員は、金泳三(キム・ヨンサム)元大統領の核心勢力だった。70、80年代の軍事政権時代、金泳三元大統領と金大中(キム・デジュン)元大統領のような野党指導者には、自分たちに代わって組織管理と政治資金分野を引き受けて処理したり、時には刑務所にまで行ってくれる「代理人」を置いた。両者が険しい大統領選挙戦をかいくぐって政権を獲得するまでには、いやなことでも率先し、派閥を取りまとめた「ナンバー2」格の「座長」の役割が大きかった。

◆権魯甲(クォン・ノガプ)民主党顧問は、金大中元大統領を40年間にわたって至近距離で補佐し、「DJ(金大中)師団」を率いた「東橋洞(トンギョドン)系の兄貴分」または「東橋洞系の座長」と呼ばれた。野党時代に副総裁を務めた権顧問のニックネームは、「権副(または権府)」だった。権副は、「金庫番」と呼ばれるほど、組織と資金を管理する「実力者」という二重の意味を持っていた。慮武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領につかえた「親盧」議員らの間では、金元基(キム・ウォンギ)元国会議長が座長格だった。李明博(イ・ミョンバク)大統領の場合は、実兄の李相得(イ・サンドク)議員や李在五(イ・ジェオ)国民権益委員長が親李明博系の座長と呼ばれたりもする。しかし、3金式の派閥政治が消滅し、座長の意味は色あせた。

◆ハンナラ党の朴槿恵(パク・グンヘ)元代表が、親朴系の座長格である金武星(キム・ムソン)議員が世宗(セジョン)市に最高裁や憲法裁判所など7つの機関を移転させる折衷案を出したことに対して、「一考の価値もない」とし、「親朴には座長はいない」と断言した。朴元代表は、野党代表時代から派閥を作らないと強調したので、「座長はいない」という言葉は、論理上不思議なことではない。しかし、両者が05年に党代表と事務総長として呼吸を合わせて以来、07年の大統領選候補を選ぶ党内選挙では、組織総括本部長を務めて選挙戦を陣頭指揮した金議員が、自然に親朴系の座長と呼ばれたのも事実だ。

◆朴元代表は、政府の世宗(セジョン)市修正案の発表に対して、「党論として採択されても反対する」と釘を刺し、一部の親朴議員らが修正案の検討や本会議の無記名投票の必要性など、妥協案を取り上げた時もブレーキをかけた。首長の考えとは違って、折衷案を提示した金議員の行動は、親朴系内では一種の「抗命罪」と見なされるムードだ。親朴系の単一隊伍の維持に座長は邪魔になるだけだと考えるようだ。座長の存在を認めない朴元代表の下で、金議員の行動がどこへ向かうのか注目される。

朴成遠(パク・ソンウォン)論説委員swpark@donga.com