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「李秉迵会長は部下を完全に信頼…直接決裁は行わず」

「李秉迵会長は部下を完全に信頼…直接決裁は行わず」

Posted February. 01, 2010 07:47,   

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ソン元社長は1957年、三星(サムスン)グループの公開採用1期として入社し、1977年、当時としては珍しく、三星物産の社長に抜擢された。三星の公採1期は、李秉迵(イ・ビョンチョル)創業主が直接、面接を行って選抜した。ソン元社長は1978年まで、三星に勤めたが、曉星(ヒョソン)重工業社長や東部(トンブ)グループ副会長などを経て、現在は、世宗(セジョン)財団の監査役として務めている。

ソン元社長は、「当時、ソニーや松下は、我々が提携を持ちかけても、相手にしてもらえなかったが、三星電子が大幅にリードするようになり、気持ちいい」と拍手をした。氏は1時間以上もかかったインタビューで、コーヒー杯すら飲み干せないほど、絶えず、かつてのエピソードを披露した。

●丸二日間社員面接も

「李秉迵会長は、数百人の従業員を採用する際も、一人一人に対し、直接面接を行いました。私が社長の座にいたときも、丸二日間、面接を行いましたね。質問は社長団が行いましたが、李会長はじっと座ったまま、人性や品性などをチェックしていたようです。それぐらい、人材に対しては非常に多くの関心を持っていましたね」

ソン元社長は、李秉迵会長はいい人材を見逃すことがあってはならないと思ったのか、じっくり面接を見守っていたという。普通、社長団は、筆記試験の点数を見て、面接点数をつけるケースが多かったが、李秉迵会長は、筆記試験の結果は見ないまま、面接だけに集中し、見逃してはならない人材には「●」を、会社と相性の悪そうな人には「X」印をつけた。筆記点数はビリでも、「●」がつけられた人材は合格し、筆記点数がいくら高くても、「X」がつけられた人は、再度の会議を経て決定した。この全ての過程は、外部委託無しで進められたという。

「会社の中で、頻繁に席を移す人は、会長から目を掛けられている人だという意味でした。有能な人材は年齢を問わず、いつも重責をまかせ、問題を抱えているところに送りました」

李秉迵会長の人材育成方法は、徹頭徹尾だった。特に、社長団は、製品を巡る基礎数値をいつも頭の中に留めていなければならなかった。商品の価値が分かってこそ、きちんとした戦略を樹立することができるからだという。

社長に会社を任せてから1週間が過ぎれば、呼び寄せました。三星は製造業が中心だから、「製品の総コストはいくらか」、「そのうち、人件費はどのぐらい占めているか」などを詳しく問いました。少しでももじもじすると、落第ですね。その来週に再度呼んで、尋ねました」。

●多くの税金を払うことが国への貢献

ソン元社長は、部下を100%信頼する李秉迵会長リーダーシップが、最も印象深かったという。「会長が書類に決裁する姿は一度も見たことがありません。会長からも、『私は事業を始めてから、一度も決裁を行ったことがない』と語りました。それだけ人を信頼し、仕事を任せたということです。だから、仕事を任された人は、さらに頑張らざるを得ませんね。それこそ、李会長独特のリーダーシップです」。

ソン元社長によると、李会長の強い決断力のリーダーシップこそが、現在の三星電子を育てた。かつて、石油化学や機械など、当時の新成長事業を検討していたが、李会長は、電子に可能性があることを見込んで、推し進めたという。「電子事業を開始した際、業界からの反対はものすごかったですね。1960年代後半だったが、電子工業協同組合は、三星の電子事業への参入をものすごく反対しました。当時、金星(クムソン)社(現在のLG電子)も反対しましたし。会長は電子事業の可能性を確信し、推進しました。最近の言葉での『成長エンジン』というのが、すでに分かっていました。その時、(電子の代わりに)石油化学や機械工業を選択したなら、今の三星はなかったはずです。

決断力のあるリーダーシップは、徹底した調査から出たものだ。新たな事業についてきめ細かく調査を行い、関連専門家らを呼んで、話を聞いたという。

「企画調査室長になれば、緊張せざるを得ません。会長は抜け目のない人で、いつも徹底的に分析し、予測していなければなりませんでした。第一(チェイル)合繊を始めた当時、企画調査室長が、成長可能性の分析を行いました。会長は外国の場合の国民所得や人口変化によって、どのように事業が成長したかを調査することを希望しましたが、室長は会長の質問にきちんと答えることができず、結局、会社を離れなければなりませんでした」。

ソン元社長は、インタビューが終わってから数日後、再び記者に電話をかけてきた。

「一つ、お伝えしたい言葉があります。わが社が収めた税金を計算した際、会長は、『企業が成長し、税金を多く収めて、雇用が増大することになれば、国に貢献することであり、嬉しい』と述べました。『事業報国』というイデオロギーでした。後輩たちはこの精神を忘れずに、今のよい成果を必ず引き継ぎ、国のブランドも高めていくことを願います」



achim@donga.com