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「生き延びても死より厳しい苦痛が…」大震災5日目のハイチ

「生き延びても死より厳しい苦痛が…」大震災5日目のハイチ

Posted January. 18, 2010 08:34,   

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数々の難関を乗り越えて16日午前(当地時間)、やっと到着したハイチの首都・ポルトープランスは、廃墟そのもので、巨大な難民村だった。街で会った住民たちは、地震の心臓部で運良く生き延びた幸運の主人公だったが、顔には希望のかけらも見られなかった。

最悪の地震被害によって廃墟と化して4日目になるこの日、街の随所では遺族もいなくあちこちに放置されたままの遺体を、掘削機が休まずに火葬場に運び続けていた。都市の至るところには家族と住む家を失った被災者たちが公園に集まって、テント村でやっとの思いで毎日に耐えている。救助作業ははかどらず、救護品は被災者に届いていなかった。田舎に向かう市外バスターミナルには、お金を稼ごうと上京したが被災に遭って故郷に帰ろうとする人々の行列ができていた。

記者は、ダンプトラックを改造してブリキの屋根をかぶせて作ったハイチの大衆交通手段で、地元では「タブタブイ」と呼ばれる小型バスに乗って現場を見回った。都市は廃墟の姿そのものだった。都心に近付くほど、まともな建物がなかなか見当たらなかった。へとへとに疲れて飢えている被災者たちが、ボロ姿で街に横になっていた。

地震が発生して以来、5日目になっていたが、救助作業が進んでいる現場はあまりなかった。生存者の救助作業は、主に中間層や上流層が利用するデパートやホテル、スーパーマーケットなど、ごく制限的な場所でのみ行われていた。

16日午前、繁華街のデルマに位置した代表的な高級スーパーマーケットであるカリビアンマーケットでは、フランスから来た救助隊20人あまりが緊急投入され、救助作業が行われていた。ここはハイチの上流層や白人などが主に利用する場所だ。近くにある富裕層が多く利用するメガマートでも救助作業が進められていた。

しかし、車で10分ぐらいのところにある、貧民層が多く住むラビルには救助隊がまったく見られなかった。所狭しと軒を連ねている小規模住宅が、原型をも留めていないほど崩壊しており、街には遺体が無造作に横たえられている。住民たちは、タオルや手で鼻をふさいで遺体のとなりを通り過ぎていた。

激しい貧富の格差で厳しい毎日を生きてきたハイチの庶民たちは、死んだ後もまともな待遇を受けられずにいた。幸いに極貧層が集まって暮すスラム街のシテソレユは、ほとんどブリキで作られた家なので、今回の地震の被害はあまり大きくないようだった。

一方、ハイチの大震災による死亡者は、最大で20万人に達すると推定されている。ポールアントワーヌビエンーエム・ハイチ内務長官は15日(当地時間)、「今回の地震で10万人から20万人が死亡したものと推定される」と話した。



higgledy@donga.com