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「来年1月には、もう一度笑いたい」朴泰桓が復活目指し豪州へ

「来年1月には、もう一度笑いたい」朴泰桓が復活目指し豪州へ

Posted January. 13, 2010 08:27,   

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「熱意が冷めたって?スポーツ選手にとって、それはCPU(中央処理装置)の抜けた空っぽのコンピューターだってことなんですよ」

朴泰桓(パク・テファン)は振るわなかったローマ世界選手権以降、「熱意がない」「練習をさぼって遊んでいる」などの話をさんざん耳にした。2008年の北京五輪で金メダルを取った種目(400メートル)で、1年ぶりに予選脱落したのだから、そう言われても仕方なかった。そういう非難が傷になった。

朴泰桓は、「練習は五輪の前も後も全く変わっていなかった」と話した。しかし、周りの厳しい視線を、素直に受け止めることにした。「光と影がはっきりしているスポーツ選手にとっては耐えなければならない宿命」とも言った。淡々と語る姿から、すっかり成長した印象を受けた。

●有頂天だった09年1月、練習三昧の08年1月

ちょうど1年前の09年1月の朴泰桓は最高だった。落ちこぼれなんて思ったこともない。「あのときは、体の状態も気持ちも良かったので、練習だけを考えて打ち込もうという軽い気持ちだった」と言う。実は、今も特に変わったことはない。「楽しみながら運動をする」という心構えは一緒だ。もちろん置かれた立場は変わった。1年前は最高の結果を出した後に迎えた暖かい冬だった。

今は挫折を味わった後の、少しきつい冬だ。ローマ世界選手権後の時間は、それこそ彷徨いの連続だった。一時は水泳を止めることも考えた。そんなとき自分を支えてくれたのが家族だった。母親は、揺れる息子に言った。「あなたが止めたいなら止めても良いけど、今は違うと思う。地球が爆発しても残るような歴史をもう一度残しましょうよ」と。誰よりも強いマリンボーイの心臓は、激しく鼓動した。

悲壮感も増してきた今年1月は、2年前に似ている。08年1月の朴泰桓は、ひたすら泳ぐばかりだった。06年のドーバー・アジア大会で3冠を達成し、07年3月のメルボルーン世界選手権でも400メートルを制しながら勢いに乗ったが、スランプに陥った。五輪を控えて気持ちを引き締め、ひたすら練習に打ち込んだ結果、韓国競泳史上初の五輪金メダルという歴史を打ち立てた。

●また笑える11年1月を目指して

朴泰桓は16日、豪州ブリズバーンのキャンプ地に向かった。新しく契約したコーチのマイケル・ボール氏がいるところだ。8日の記者会見後、朴泰桓が泳ぐ姿を初めて見守ったボール氏は、「重心の移動がとてもうまい。ストロークも抜群だ」とコメントした。

豪州は、朴泰桓には機会の地だ。07年のメルボルン世界選手権で世界トップクラスに仲間入りしたし、大事な大会を控えてから必ず豪州で調整を行った。振るわなかった昨年のローマ世界選手権の後に、気持ちを整えたのも豪州だった。

朴泰桓は、「豪州は外国という気がしない。地方で練習している感じだ」と話した。また「条件さえ許されれば、引き続き豪州で練習したい」とも言った。

今年の練習スケジュールは11月の広州アジア大会に合わせている。復活の試金石となる大会だ。アジア大会とは言え、世界選手権の800メートルで金メダルを、400メートルで銅メダルを取った中国の張琳とスン・ヤン(1500メートル銅メダル)など手ごわい相手がはだかっている。とくに、張琳は北京五輪後、部屋に朴泰桓の写真を掛けて闘志を燃やし、ローマでは見事に朴泰桓を越えた。

広州アジア大会の後は、再び冬が訪れる。1年後の朴泰桓の冬は暖かいだろうか。



hanwshin@donga.com