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「コートの外で、バスケへの愛情に気付いた」 NBAのグラント・ヒル

「コートの外で、バスケへの愛情に気付いた」 NBAのグラント・ヒル

Posted January. 05, 2010 09:25,   

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「トンネルの出口が見えませんでした。しかし、いつも心の中で自分に言い聞かせていました。継続して前へ進めば、光が見えてくるはずだと」

「コートの紳士」と呼ばれながら、「バスケットボールの皇帝」マイケル・ジョーダンに匹敵する技量を備えた男がいた。ファンは、彼の格好いい姿や洗練されたマナー、性格に熱狂した。誰も疑わなかった。ジョーダンの後継者は彼だということを。グラント・ヒル(37、フェニックス・サンズ)の話だ。東亜(トンア)日報は電子メールで米プロバスケットボール(NBA)最高スターの一人、ヒルをインタビューした。

●神様に妬まれた男

数年前、米国のあるマスコミはヒルについてこう語った。「神様は彼に全てのことを許した。ただ一つ、弱い体を除いては…」。

ヒルは大学時代から最高スターだった。デューク大学史上最も偉大な選手に選ばれ、主な賞を総なめした。NBAに進出してからも同じだった。爆発的な運動能力や創意的なプレー、リーダーシップまで兼ね備えたヒルは、デビューシーズン(1994〜1995シーズン)、デトロイト・ピストンズで19.9得点、5アシスト、6.4リバウンドを記録し、新人王に輝いた。ピストンズで送った6シーズの間、彼は技量や人気の面で最高だった。オールスター投票ではジョーダンを抜き、2年連続、最多投票の栄光を満喫した。ヒルは、「試合の前、頭の中で思い描いたプレーがコートの中で全部実現した」と、当時を振り返った。

しかし、オーランド・マジックへ移籍した00年、悲劇は始まった。足首、膝、脛、手首など痛みのないところがなかった。マジックで送った6シーズンの間、ヒルがコートに出たのは200試合。「体が痛いということよりも、バスケットボールシューズが履けないということに腹が立ちました。しかし、一度もバスケットボールをやめるという考えはなかったんです」。

ヒルは以後、4度の大きな手術を受けた。手術台に上がる度に、マスコミでは「ヒルは引退する」という記事が殺到した。しかし、その度、黙々とリハビリに専念した。奨学財団を設立するなど前より積極的に慈善活動に取り組んだ。「子どもの時から両親から奉仕の大事さを学びました。私も痛かったですが、私よりもっと痛い人がいるということを知っているから、その紐を手放さなかったし、手放すつもりもありません」。

●「バスケットボールシューズが履けて幸せです」

そして、とうとう彼が帰ってきた。07年、サンズに移籍したヒルは、再びシーズンのほとんどを消化できるほど健康な体を取り戻した。彼に最近の体の具合を尋ねたら、「とてもいい」という言葉を3度も繰り返すほど満足していた。

しかし、30代後半という年齢や大小の手術の跡は、ヒルに前のような爆発的なプレーを期待し難くした。彼も、「復帰してしばらくは、『もうコートを支配する選手ではない』という事実を認めるのが難しかった」と打ち明けた。それでもヒルは幸せだ。「コートの外にいる時、自分がバスケットボールをどれほど愛しているかに気付きました。経験や勝利への乾きは、若い選手らに私が与えられるプレゼントです」。

「帰ってきた貴公子」をいつまでコートで見られるだろうか。彼は笑いながら言った。

「新人の時、当時34歳のジョー・デュアース(46、名誉の殿堂入りを果たした元ピストンズ選手)に聞いた。『どうしてその年までバスケをやるのか』と。『私はその年には絶対やらない』と言ったんです。しかし、今は違います。失った時間を取り戻さなければと思います。バスケに役立つならば、他の人生を諦める自信もあります。私は相変わらず、バスケットボールシューズの紐を結ぶことが幸せで、戦う準備ができています」



niceshin@donga.com