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絶望の瞬間、希望の庶民政策

Posted January. 04, 2010 08:22,   

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庶民にとって大変でない年はないが、09年は特に大変な一年だった。金融危機は、低所得層や自営業者、就業準備をする人には大きな打撃をもたらした。しかし、絶望の那落に陥らず、寅年の新年を迎えてまた希望を夢見る人々がいる。低所得層や低信用層のために立ち上げられたミソ(微笑みの意)金融や各種信用保証貸出しをはじめ、就職難の解消のために導入された青年インターン制度は、危機を乗り切ろうとしている人々に「希望の光」を差している。

●ミソ金融、500万ウォンで芽生えた希望

10年ぐらい前、農産物卸売り事業を手がけた夫と一緒に上京したムンさんは、夫の事業失敗によって、04年から家で直接作った手作りの豆腐を売って生計を立ててきた。1日15丁ぐらいの豆腐を売って得られる収入は4万5000ウォンぐらい。材料代を除けば、1ヵ月ちょうど働いても手に入れる収入は80万ウォンぐらいに過ぎなかった。

しかし、ミキサーやガスレンジが故障してから、ムンさんは働けなくなってもう4ヵ月目を迎えている。前もって買っておいた豆100キロが居間いっぱいに積もれているが、故障した機械を直すのに100万ウォンぐらいがかかるという言葉に、豆腐作りを諦めてしまったもの。ムンさんは、以後、1ヵ月に数回の日雇い派出婦の仕事をして、夫と中学3年生の娘を扶養してきた。

ムンさんがミソ金融の話を初めて耳にしたのは、昨年10月ごろ。ムンさんは、ウリミソ金融が開所した初日の昨年12月17日、2時間以上並んで貸出し申請書を提出した。同日、現場審査を終えたウリミソ金融財団は、今月初め、最終審査を経て貸出しの可否を決定する予定だ。

「貸出を受ければ、何に使うか」という財団のスタッフの質問に、ムンさんは、「新しい豆腐の機械から買いたい」と答え、目をつけておいた機械の長所を立て続けに説明した。ムンさんは、新しい機械を購入したら、1日の豆腐生産量を100丁まで増やす計画だ。ミソ金融を申し込んだ後、休まず周りに声をかけ、60〜70人のお得意さんから「豆腐を買う」という約束を取り付けておいた。ムンさんは、「この地域が再開発され、借家から追い出される前に、小さな豆腐屋を開くのが夢」と話し、「お金を稼いだら、お肉が噛めない夫を歯医者さんに連れて行きたい」と話した。

●自営業者支援で創業に成功

「来週からすぐ納品できるように準備してください」。漢方化粧品メーカーの「ジャヨンサラン、サラムサラン(自然を愛する、人を愛するの意)」の金ヒユン代表(54、女)は、新年を2日後に控えた昨年12月30日、夜遅くまで帰宅できず事務室に残っていた。化粧品を納品してもらうことを望む皮膚美容室の院長2人と納品の日程を調整しなければならなかったためだ。昨年10月から化粧品の販売に乗り出した同社は、2ヵ月ぶりに早くも11ヵ所の皮膚美容室と納品契約を結んだ。

しかし、わずか半年前までも金代表の事業は不渡り寸前だった。夫と死別した後、銀工芸師として働いた金代表が、化粧品の開発に乗り出したのは7年前からだ。しかし、ソウル江南(カンナム)のマンションを売って全財産を化粧品の開発につぎ込んだ金代表を待っていたのは、世界的な経済危機であった。昨年3月、化粧品の開発を終えていながらも、投資誘致の失敗による資金不足で、いざという時に創業はできなくなった。

金代表は、「手元に数千ウォンがなくて生計を心配する日々が始まり、うつ病になった。大学生の息子が銭湯の風呂場掃除のアルバイトをしていることを知って、自殺まで考えたほどだ」と話した。

金代表が希望の火種を灯したのは、知り合いから信用保証財団の創業支援プログラムを紹介してもらってからだ。金代表は、信用保証財団から3000万ウォンの自営業者流動性支援特例保証を受けて創業に成功した。金代表の今年の売上の目標は月5000万ウォン。昨年12月に月の売上額が3000万ウォンだったことを勘案すれば、高い目標ではない。金代表は、「創業の失敗で挫折した昨年と比べたら、10年は本当に夢のような年になりそうだ」とし、「チャンスがあれば、困難を乗り越えて創業を希望する主婦らを助けたい」と話した。

●「就業浪人から抜け出しました」

ハナ銀行の安山半月(アンサン・バンウォル)工団支店の新入行員の李チュンファさん(26、女)は、昨年4月、3年間の就業活動の末、銀行に就職できた。ソウル所在の4年生大学の数学科を卒業した李さんがこの3年間支援した金融会社は50社あまり。大学3年生の時から金融圏と進路を決めて、関連資格証を取得したが、冷え切った就業市場はなかなか道を開いてくれなかった。

特に、大学3年生の時、母親がガンの診断を受けたことに続き、翌年、父親が事故で死亡したため、いきなり家長になった李さんにとって、「就業浪人」の生活は耐え難い苦痛だった。周りの厳しい視線に苦しんでいた李さんは、昨年3月、最後の挑戦という覚悟で、「青年インターン」制度に参加した。ハナ銀行の安養(アンヤン)中央支店でお客さんへの案内を担当した李さんは、お客さんの相談内容を頭の中に入れておいて、窓口の行員に説明するなど、人並みならぬ努力で強い印象を残した。そして、結局、ハナ銀行の上半期行員公開採用に合格した。

李さんは昨年12月26日、新年を迎えて妹(弟)と一緒に父親の墓地を訪れた。李さんの妹(弟)も大学を卒業して現在、就業を準備している。李さんは、「新年は父親のように頼もしい家長になると約束した。それほど望んでいた銀行に入社しただけに、熱心に学んで最高のプライベート・バンカー(PB)になりたい」と話した。



weappon@donga.com