一人当たりの国民所得が55ドルだった1959年、当時の李承晩(イ・スンマン)大統領は、韓国原子力研究所を設立し、当時としては大金である42万ドルを支援し、初の研究用原子炉「トリガーII」を米国から輸入した。それから50年後の09年12月27日、韓国電力と韓国水力原子力が中心となったコンソーシアムが、アラブ首長国連邦(UAE)から、計400億ドル規模の原子力発電所の建設を受注した。UAEから届いた朗報は、半世紀ぶりに原子力の不毛地から、原電輸出国へと変身を遂げたことを示す国家的にめでたいことである。
UAE原発の受注は、140MW級原発4基の建設や原発建設後60年間の原発寿命期間中の運営、燃料供給や廃棄物処理などの運営支援が含まれている。海外受注の単一工事では過去のリビア大水路第2段階工事金額(63億ドル)の6倍を超える最大規模となる。工事に必要な人員は11万人にのぼり、国内の大勢の関連技術人材が現地に派遣されることも期待される。
今回の受注は、韓国型原子炉の優れた技術力や安定性、米国・フランスと中東地域との微妙な力学関係を利用した外交力、そして李明博(イ・ミョンバク)大統領の最高経営者(CEO)としてのリーダーシップが作り上げた作品である。受注競争は、原発輸出市場に初めて参入した韓国、原発が代表的な輸出商品であるフランス・アレヴァ、そして米GE−日本日立のコンソーシアムの3国による争奪戦だった。米国やフランス共にUAEに軍事基地を持っている上、経済関係も緊密であり、我々には断然、不利な戦いだった。
フランスのニコラ・サルコジ大統領は昨年、UAEが原発誘致計画を発表すると、現地を訪問して原発技術協定を交わし、空軍基地の建設を提案した。米国−日本のコンソーシアムも我々が弱点を持つウラン濃縮技術と先進の受注経験を前面に出して力を注いだ。しかし、米国やフランスのUAEにおける影響力の拡大は、隣国イランなど中東諸国をいらだたせた。このような国際情勢の中、決定権を握っているモハメド・ビン・ザイド・ナハヤン皇太子への李大統領の説得も功を奏した。
輸出が成立した韓国型原子炉はAPR(Advanced Power Reactor)1400モデル。国内の新古里(シンゴリ)の第3、4号基や、新蔚珍(ウルジン)の第1、2号基に適用される第3世代原発である。20年足らずの期間で独自の原子炉を開発し、輸出までするようになったのは、世界的にも類のないことである。今回の受注成功は一貫して推進してきた原子力政策の賜物でもある。米国は、原発の本家であるにも関わらず、スリーマイル事故以来、原発建設は中止となっており、多くのオリジナル技術を保有しているウェスティングハウスまでが、日本の東芝に売却された。
UAEの原発は、中東地域では初の原発だ。水よりも油の価格の安い産油国ですら、新たなエネルギー源としてCO2を排出しない原発建設に参入していることに注目しなければならない。世界原子力協会は、30年までに世界で430基以上の原発、約1兆ドルの新規市場が造成されるものと見込まれている。原発の受注争奪戦はこれからが本番だ。UAEに原発をしっかり建設し、中核技術を国産化することにより、原発を造船や半導体、携帯電話のような韓国の代表輸出商品として仕上げるのが、我々に課せられた課題だ。