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ファンドマネジャーの頻繁な転職を防げ

Posted November. 02, 2009 08:45,   

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「張大砲、ドリーム朴、フロイト李」

今から10年前の1990年代末、投資信託業界を牛耳った株式ファンド・マネジャー3人の異名である。張大砲とは国民(クンミン)投資信託所属の張寅煥(チャン・インファン)、ドリーム朴は韓国投資信託の朴鐴圭(バク・ジョンギュ)、フロイト李とは、大韓(テハン)投資信託の李春洙(イ・チュンス)ファンド・マネジャーを指す。張大砲は徹底したリスク管理で、ドリーム朴は内在価値の発掘で、フロイト李は優れた企業分析を誇ると、その時期は持ち切りだった。当時、投資信託業界におけるベスト・ファンド・マネジャーを選ぶ重要基準のひとつはスポット・ファンドの早期返済だった。スポット・ファンドとは、1年内にはいつでも決まった収益を達成すれば、直ちにその収益を支払う「目玉商品」だった。スポット・ファンドの早期返済率の高いファンド・マネジャーは、個人的には頻繁な売買能力の優れたことを意味する。

この時期を前後に、ファンドに人名をつけて販売するブームが起きた。「朴鍱柱(バク・ヒョンジュ)第1号ゴールド」、「ゴールドンチップ1号のチャン・ドンホン・ファンド」、「金ソッキュMVP1号」、「ホールインワン・ソンギョンホ・ファンド」などが我先に市場に出た。実は「実名ファンド」は、投資家らが従来の投資信託業界に対して抱いていた不信を逆手に利用した発想だった。実名ファンドの先駆けである朴鍱柱ファンドは、ミューチュアル・ファンドの透明性に、未来(ミレ)アセット資産運用の朴鍱柱社長の知名度を合わせて生まれたためである。それに遅れをとらないため、投資信託業界でも自社ファンドマネジャーらの名前を掲げ、広告モデルとして登場させながら、対抗に出た。

それから10年が経った今、資産運用業界における有名ファンドマネジャーの名前を浮かべることは容易ではない。かつての有名なファンドマネジャーの大半は、資産運用会社などの経営者へと変身を遂げたり、市場を離れた。KTB資産運用の張寅煥代表が、肩書きの横に「ファンドマネジャー」と書き入れた名刺を使っており、韓国投資信託運用の姜信祐(カン・シンウ)副社長が、最高投資責任者(CIO)を担当しているのが目を引く程度だ。韓国投資信託運用の金英一(キム・ヨンイル)株式運用本部長はしばらく市場を離れた後復帰した「非常に珍しい」古参現役といわれている。これは全て、国内ファンドマネジャーの寿命が長くないために際立つ現象である。いまや、ファンドはマネジャー個人の力量よりは主に運用会社のシステムによって管理される。マネジャー個人の裁量が大幅に減っており、有名になるチャンスも消えたのである。マネジャーらの平均年齢もわずか30代半ばである。

しかし、古今を問わず変わっていないことがある。ファンドマネジャーらの頻繁な転職である。10年前に実名ファンドのブームが起き、すぐ消えたのも、看板マネジャーらが会社を移した影響が大きかった。今年、国会・国政監査でも頻繁に転職するマネジャーらが話題となった。民主党の辛鶴用(シン・ハクヨン)議員は、07年から2年8ヵ月間、運用専門人材の平均転職率は48.4%に上ると明らかにした。2人中1人の割合で会社を離れたのである。

米国のピーター・リンチは、「彼と比較されることこそ最高の賛辞だ」といわれたファンドマネジャーがいた。欧州ファンドマネジャーらの間では生きている伝説と言われるアンソニー・ボルトンだ。彼はこう言った。。「厳しい時間を通じて鍛えられた運用者、貫禄のある老兵に会いたい」。これに次のような言葉を付け加えたい。「韓国でも」。