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[オピニオン]ミャンマーの花

Posted August. 13, 2009 08:29,   

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無茶な想像ではあるが、一度やってみよう。世界的に第3の民主化の波が押し寄せた1987年。6月民主抗争の結果で実施された選挙で、民政党ではなく野党が勝利した。国民は歓呼したが、軍部独裁政権はすんなりと政権を渡さなかった。かえって野党の指導者を押し込めたまま、国際社会が非難しようがしまいが、国民生活が破たんしようがしまいが、相変わらず強圧的な統治をしていたら、果たして我々は耐えられたのだろうか。

◆ミャンマーは、そのような話にもならないことが起こっている国だ。1962年、軍部がクーデターで政権を掌握し、1988年8月、民主化運動が起きたことまでは韓国と似ている。しかし、民主化を成し遂げた韓国とは違い、ミャンマーでは新軍部が登場し、平和的なデモを無慈悲に鎮圧した。1990年、選挙が実施されたが、野党指導者のアウンサン・スーチー氏が軟禁状態で率いた民主民族同盟(NLD)が圧勝すると、軍事政権は選挙無効を宣言してしまった。そして今まで独裁を続けている。

◆平和的な政権交代が実現していたら首相を務めていたはずのスーチー氏が、また1年6ヵ月の自宅軟禁刑を言い渡された。20年前、初の自宅軟禁以来、14年間を閉じ込められたまま暮らした。ビルマ(軍部統治以前の国号)の独立の英雄、アウンサン将軍の娘であるスーチー氏は、英オックスフォード大学の博士課程で勉強しながら夫と2人の息子をもうけた幸せな女性だった。1988年、病気になった母親の面倒を見るため帰国した際、荒波に包まれた祖国を見て、「わが国で起きていることに無関心でいるわけにはいかない」とし、民主化闘争に飛び込んだ。一歩でも国境から外れると、帰国できなくなることを心配し、1991年、ノーベル平和賞を受賞する時も、1999年、夫が英国でガンで亡くなった時も国を離れなかった。

◆ミャンマーは軍部は権力を掌握していて、中国とも密接な関係を結んでおり、大規模な地下トンネルを作ったという点で北朝鮮と酷似している。北朝鮮がミャンマーに核の技術を伝えたという「核コネクション」の疑惑が浮上してから、両国は「イタチの枢軸」という恥ずかしいあだ名まで得た。それでも北朝鮮にはいない民主化指導者がミャンマーにはいるわけだから、金正日(キム・ジョンイル)の強権統治は一枚上のようだ。か弱いが、優雅で説得力のある英語で祖国の痛みを世界にアピールする「民主化の花」スーチー氏の即時釈放を促す。

金順徳(キム・スンドク)論説委員 yuri@donga.com