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[社説]未来型教育課程は教科目エゴの克服にかかっている

[社説]未来型教育課程は教科目エゴの克服にかかっている

Posted July. 25, 2009 08:05,   

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大統領直属の国家教育科学技術諮問会議は昨日、「未来型教育課程」を巡る構想案を発表した。児童や生徒らが学ぶべき教科目の数を減らし、それぞれの高校に対して、オーダーメード型教育ができるよう科目編成権を拡大したのが主要柱となっている。

中学や高校の学期当たりの履修教科目数は、13科目前後から8科目以下を学ぶ米国や英国に比べはるかに多く、学習への負担は増しているのに学力は低下する矛盾した現象が起きている。かつての教育課程の中で、生徒らの選択権を拡大することを理由に、選択科目を大幅に増やしたためである。高校国語の場合、話法や読書、文法、文学、作文、媒体言語の6科目に分かれている。生徒らはこのうち、3科目程度を履修するようになっており、勉強しやすい科目のみ選んで受講する傾向がはっきりしている。難しい科目を敬遠し、勉強しやすい科目だけ集中選択したため、「受験の際ミスをしない競争」が繰り広げられ、全体的な学力が下がっている。

新教育課程では現在、小学校1年から高校1年までの国民共通基本教育課程を、中学3年までに終える一方、高校では校長が学校の特性に合わせて教育課程を組むようにした。来年から、ソウル地域で高校選択制が導入されれば、各高校では差別化された教科目編成を基に、激しい生徒誘致競争を繰り広げることになるだろう。

しかし、縮小対象となる教科目教師らの反発はすでに激しい。高校教育課程を自由化すれば、国語や英語、数学など、大学入試向け主要科目の比重は高まり、かえって生徒らの負担は増すことになるだろうという主張も出ている。しかし、地理科目一つだけ見ても、韓国地理や世界地理、経済地理と分かれている。教師らの大学時代の専攻にあわせて、生徒らが選択科目を選ぶようになっており、主客が逆になっているのが現状である。教師らの反発は生徒の未来より、科目の未来、すなわち、自分の立場を守ることにのみ関心のある「教科目に対する利己主義」から出ている。

教師らが、それぞれ重要だと主張する科目を全て盛り込むことになれば、新教育課程の改革は失敗に終わり、また、万屋になってしまう。生徒らを未来型人材に育成するための最終目標にあわせて、新教育課程は簡単に組まなければならない。「未来型教育課程」の成否は校長にかかっているとも言えるだろう。政府は校長が確固たる教育観を持って教育課程を編成し、教師らに教科目を割り当てることができるよう、全権を与えるべきだ。校長は全国教職員労働組合(全教組)の機嫌ばかりうかがって、安易に任期のみ全うしようとせず、教育成果をあげるのに職をかけるべきだ。