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平壌の南北合弁企業1号、「核風」で工場停止し借金地獄に

平壌の南北合弁企業1号、「核風」で工場停止し借金地獄に

Posted July. 03, 2009 03:01,   

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昨年10月、平壌市東大院区(ピョンヤンシ・トンデウォンク)の紡織通り。

白髪の60代の老人が、こぎれいなスーツ姿で演壇に上がり、約300人の群衆の前に立った。彼は、スーツのポケットから用心深く1枚の紙を取り出し、震える声で読み上げた。「平壌大麻紡織の竣工式は、分断60年史で南北の経済人が力をあわせて成し遂げた民族の快挙であり、開城(ケソン)工業団地に続くさらなる一つの大きな成果です。(中略)08年10月30日、大韓民国第15代大統領金大中(キム・デジュン)代読」。拍手を受け、老人の頬に一筋の涙が流れた。

それから9ヵ月経った7月1日、東亜(トンア)日報の記者の前に現われた安東(アンドン)大麻紡織の金ジョンテ会長(67)は、やつれた姿で辛うじて口を開いた。

「10年間、情熱を注いだ平壌大麻紡織を閉めることになった…」

平壌大麻紡織は、韓国企業が初めて平壌市内に工場を建てた「合弁企業第1号」だ。最近、同社の韓国本社が、対北朝鮮事業に集中するために、中国と慶尚北道(キョンサンプクト)安東市の工場を閉鎖し、唯一残しておいた京畿道城南市(キョンギド・ソンナムシ)の衣類工場まで、裁判所に差し押えられた。約180億ウォンを投じ、昨年10月に完工した平壌大麻紡織の資金難のため、本社まで倒産に追い込まれたのだ。金会長は、韓国産業銀行から融資を受けた15億ウォンの利子3700万ウォンも返すことができない。彼は、「70近くで路頭に迷うことになるかもしれない」と嘆いた。

金会長は一時、「麻パンツ」を初めて開発し、99年に繊維業界最高の栄誉である韓国繊維大賞を受賞し、麻関連製品の特許でISO9001認証を得た成功した企業家だった。一体、この10年間、彼に何が起こったのか。

●「私も会長のように技術を身につけたい」

金会長に栄誉と屈辱を抱かせた対北朝鮮事業への進出は、98年8月、偶然、中国豆満江(トゥマンガン)の近辺で、「コッチェビ(北朝鮮で孤児となった浮浪児)」に会ったことで始まった。当時、中国山東省泰安市で繊維工場を経営していた金会長は、豆満江近くで「親が餓死し、生きるために豆満江を渡った」という10代の脱北少年に会った。少年は世間の荒波を経験してか、幼い年ですでに酒とタバコに浸っていた。

敬虔なカトリック信者である金会長は、フランチェスコ修道会所属の神父らと、豆満江を渡ってきた「コッチェビ」のためにボランティアを始めた。当時、北朝鮮で1家族の1年間の生活費と事業用のリヤカー購入費として1人当たり500ドルを与え、北朝鮮に残した家族の元に返した。この時、北朝鮮国境に向かう「コッチェビ」少年の言葉が、金会長の脳裏から離れなかった。「乞食をすることなく、私も会長様のように技術を身につけて会社を興したいです」

金会長は悩んだ末、対北朝鮮事業への進出を決心した。非政府機構(NGO)の食糧支援に依存せず、北朝鮮同胞が自立できる技術を教えるには、現地に企業を建てなければならないと判断した。このため、豆満江付近に土地を購入し、麻を直接栽培し、北朝鮮を往来する朝鮮族の事業家や在日韓国人を訪ねた。彼らを通じて、南北経済協力を管掌する民族経済協力委員会(民経協)や軍部、保衛部などに麻の種子と事業計画書を地道に送り続けた。

3年間の努力の末、02年12月、民経協傘下のセビョル総会社から事業提案を受けた。そして、03年11月、韓国内初の平壌市内に南北合弁会社を設立することで合意し、06年6月の完工を目標に工事を着手した。この時まではすべてが順調に見えた。しかし、想像もしなかった危機が彼を待っていた。

●一度に襲った危機

1回目の危機は、05年6月に突然訪れた。北朝鮮側が、事前予告もなしに一方的に工事を中止させたのだ。翌年12月までの1年6ヵ月もの間、工事がまったく進行しなかった。その間、銀行から融資を受けた利子はきちんと払い、結局、金会長は2つの工場を整理するだけでは足りず、韓国本社の人材まで減らさざるをえなかった。後に、北朝鮮内の一部強硬派が、隔離された開城(ケソン)工業団地ではなく、平壌市内の真ん中に韓国企業が入ってくれば、住民の動揺が憂慮されると主張したためだという事実を知った。

工事の再開後は、劣悪なインフラ問題が本格的になった。06年、靴下工場が実験生産に入ってから1ヵ月後、製造機器50台のうち44台が電力問題で一度に故障した。一般機器は60ヘルツの電力周波数に合わせて設計されているが、北朝鮮は電力事情が劣悪で42ヘルツであるために、機械に過負荷がかかったのだ。このため、金会長は発電設備の新たな設置に20億ウォンを追加投入しなければならなかった。

工場運営の基本である用水の問題も彼を苦しめた。契約書によると、廃水処理は北朝鮮側の責任だったが、実際に工事が始まると「在来式設備として処理せよ」と金会長に責任を押しつけた。目をつぶって処理することもできたが、企業家の良心上、汚染物質をそのまま排出することはできなかった。廃水処理施設のための追加資金が必要で、統一部に再び支援を求めたが、「すでに融資した35億ウォン以上は難しい」という返事だけが返ってきた。結局、金会長は染色工程の稼動をあきらめるしかなかった。

このように、あらゆる困難を経て昨年10月に工場を完工したが、今度は北朝鮮の核実験と開城工団の事態が足を引っぱった。北朝鮮側のさらなる抑留措置を憂慮した韓国政府が、開城工団以外の北朝鮮地域への通行を遮断し、身動きがとれなくなったのだ。深刻な資金難で材料すら購入できなくなり、現在、平壌大麻紡織工場は設備だけが整った状態で中断している。金会長は、「10年間夢に描いた工場を建てても、製品の生産ができない。気持ちだけが焦る」と語った。彼は、金融コストなどに毎月1億ウォンほどの赤字を抱えている。金会長は、「生涯身につけた紡織技術で、余生を北朝鮮の同胞たちに奉仕したかった。会社は身動きがとれなくなったが、いつか北朝鮮にある紡織施設が再稼動し、果たせなかった夢がかなってほしい」と語った。



sukim@donga.com