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[オピニオン]海軍参謀総長の演説

Posted June. 16, 2009 07:02,   

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1999年6月15日、南北海軍で繰り広げられた第1次延坪(ヨンピョン)海戦は、韓国側の完全な勝利だった。当時、北朝鮮は艦艇6隻が沈没や大破し、数十人が死亡した。我々は将兵11人が怪我をし、艦艇2隻が損傷を受けた。戦闘直後、同日午前10時に開かれた国連と北朝鮮との板門店(パンムンジョム)閣僚級会談で、北朝鮮側代表は、「午前9時15分、南朝鮮の先制攻撃により、戦闘が繰り広げられた」と激しく抗議した。しかし、実際の戦闘は、9時28分から14分間行われた。北側代表はミスで、元来の作戦予定時間を口走ってしまったのである。

◆北朝鮮の海軍司令官が、延坪島の向かい側の基地で、直接戦闘を指揮したことも、計画的な挑発の証拠である。韓国戦争以来の正規交戦だった第1次延坪海戦で、我が海軍は大きな勝利を収めたものの、当時の朴ジョンソン第2艦隊司令官は、人事で不利益をこうむり、昇進できず少将として除隊した。一方、金正日(キム・ジョンイル)は、敗戦した西海(ソヘ)艦隊司令部8戦隊に牛肉を送って労った。8戦隊は、3年後の02年6月29日の第2次延坪海戦を起こし、金正日に恩返しした。我が将兵6人死亡、19人負傷、高速艇1隻が沈没という戦果を上げたのだ。

◆延坪海戦はいずれも、金大中(キム・デジュン)政権の時だ。第1次延坪海戦後、海軍の交戦指針は、「先制射撃と戦争拡大を絶対阻止、北方限界線(NLL)の絶対固守、賢明な対処」へと変った。現場の指揮官の作戦権が、完全に拘束されたのである。第2次延海戦で、我々の犠牲が大きかったのは当然だった。朴元司令官は、「敵の砲弾を受けてから対応せよ、というものだった」と批判した。軍の主敵の概念をぼやかし、3兆5000億ウォンの「平和費用」を北朝鮮に提供した金大中元大統領はノーべル平和賞を受賞した。

◆9年ぶりの昨年、ようやく第1次延坪海戦の戦勝碑が、第2艦隊司令部内に建てられた。昨日、そこで開かれた10周年記念式典で、丁玉根(チョン・オクグン)海軍参謀総長は、「敵が我々の手先一つでも触れば、敵の手首を切るという覚悟で、(第1次の延坪海戦の)勝利の伝統を継承しなければならない」と語った。心強い言葉である。北朝鮮の核開発や武力による脅威を、政府の太陽政策破棄のせいにし、6.15南北共同宣言を聖典のように敬う人々らは、このような強軍が国家安保を守っていることに気づくべきである。

陸貞洙(ユク・ジョンス)論説委員 sooya@donga.com