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新羅の騎馬将軍、1600年ぶりに蘇る

Posted June. 03, 2009 07:37,   

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1600年前の重武装した新羅(シルラ)の将軍の鎧と馬の鎧が、原形を保った状態で見つかった。

国立慶州(キョンジュ)文化財研究所(池炳穆所長)は2日、「4〜6世紀の新羅の古墳、150基余りが集まっている慶尚北道慶州市皇吾洞(キョンサンブクド・キョンジュシ・ファンオドン)の古墳群(史跡第41号)「チョクセム地区」の5世紀前半の主副槨式木槨墓(一つの封墳の中に棺を入れる槨が2つある墓)で、新羅の重装騎兵を率いた将軍と見られる埋蔵者の鉄製のかけ鎧(札甲)や馬の鎧(戦闘で馬を保護するための鎧)、馬具(馬に乗るときに使う器具)がほぼ完璧な形で出土した」と明らかにした。

鉄製の鎧で武装して馬に乗った武士の武装状態をうかがえる古代の鎧や馬の鎧の一式が完全な状態で合わせて見つかったのは今回が初めて。これまで、古代のかけ鎧の原型は雙楹塚(サンヨンチョン)や安岳(アンアク)3号墳、鎧馬塚(ケマチョン)などの高句麗の古墳壁画だけで確認することができた。1992年、慶尚南道咸安郡(キョンサンナムド・ハムアングン)で、5世紀後半の馬の鎧が見つかったことはあるものの、胴体や首の部分だけが残っていた。

馬の鎧は、墓の主人が埋蔵された主槨(440X220センチ)から出ており、首や胸、胴体(130X100センチ)、腰の部分が、木で作った槨(棺を入れるために作った埋蔵施設)の上に西から東に向けて順番どおり並んであった。馬の鎧の胴体の上には、埋蔵者のかけ鎧が、胸当て(胸甲)や背甲、足を保護する大腿甲に分かれて並べられていた。主槨の一番西側には兜が、首元や肩を保護する肩甲、腕を保護する臂甲と見られる鎧と共に見つかった。

鎧の傍には埋蔵者が使ったと思われる環頭大刀(84センチ)や鹿の角で柄を作った小型刀があり、主槨の隣の副葬品を入れる副槨(210X160センチ)からは、馬の兜や鞍の枠、くつわ、鐙(馬に乗った時の両足の踏み台)など、複数の馬具や土器が出土された。

国立慶州文化財研究所の池炳穆(チ・ビョンモク)所長は、「埋蔵者は鎧の上に安置されていたのだろう」とし、「古代の将軍の重武装状態を示す完璧なセットが見つかったのは、東アジアでは非常に稀なことである」と語った。李健茂(イ・ゴンム)文化財庁長は、「新羅が高句麗から受け入れた重装騎兵を有効に運営し、三国統一の基盤を作ったことを示す遺物だ」と話した。



zeitung@donga.com