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[オピニオン]李会昌氏と李容勲氏

Posted May. 18, 2009 08:28,   

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政治・社会問題に対する「論評政治」で影響力のある李会昌(イ・フェチャン)自由先進党総裁が、先週末、申暎𨩱(シン・ヨンチョル)最高裁判事の問題についても言葉を発した。李総裁は、党内会議やテレビ番組に出て、「いかなる場合であれ、判事の集団行動には同意できない。司法の独立は制度よりも法官自身が守ることだ」と強調した。そして「真の司法の独立は、判事個人の信念と勇気、犠牲によって守られてきた。最高裁判事の干渉があっても、判事は所信を持って裁判をすればいい」と付け加えた。

◆李総裁は、46才の時の81年に最高裁判事に任命され、最高裁判事を2度歴任した。最高裁判事全体が参加する全員合議体判決で少数意見を多く出し、「熱血判事」というニックネームもつけられた。政治家としての評価とは別途に、今回の発言が重く受け止められる理由である。李容勲(イ・ヨンフン)最高裁判所長官の口からそのような言葉が出たなら良かったという思いがする。政治家と現職最高裁長官の立場は異なるが、「会議」の形式を借りた判事たちの集団行動が1週間も続いているにもかかわらず、最高裁長官が遠くの山を眺めるような態度を取ることは正常ではない。

◆李長官は、3月に申最高裁判事の「裁判関与」論議が初めて提起されると、「判事がその程度で裁判に影響を受けていいものか」と記者の前で聞き返した。司法の首長の適切な発言だった。しかし、そのような見解は、判事たちに向かって一貫性をもって表明されなかった。李長官が、申最高裁判事問題について、最高裁判所公職者倫理委員会が勧告した範囲内で、申最高裁判事に「厳重警告」をしたことまではよかった。

◆しかし、ソウル中央地方裁判所など、全国の裁判所の多くの判事が、連日同じ行動をしているにもかかわらず、李長官が沈黙を守っていては、「誤解」を生む素地がある。申最高裁判事に対する自分の「懲戒不付託」決定に、判事たちが集団で反発しているにもかかわらず、沈黙していることは、「司法ポピュリズム」を容認するということなのか。苦心の末に下した自分の最終決定が無視され、司法部内部の秩序が崩れることに対して何の言葉もないのであれば、司法部は憲法機関どころか組職でもない。国民の目には、集団行動の判事たちの考えに同調していると映る恐れもある。

陸貞洙(ユク・ジョンス)論説委員 sooya@donga.com