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[オピニオン]先生の日の「寸志」

Posted April. 24, 2009 03:25,   

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先生の日(5月15日)を控えている最近、ソウル江南(カンナム)や京畿城南市(キョンギ・ソンナムシ)の盆唐(ブンダン)地域の教師らが色めき立っている。「寸志」すなわち教師への付け届けを巡って、09年を「寸志との戦いの年」と宣言した国民権益委員会(権益委)が、同地域の学校教師らに対して集中的な監察を行っているからだ。調査官らは、一部の教師らの買い物袋や自動車のトランクまで調査を行った。該当教師らは、「生まれてから、このような侮辱は初めてだ」と言いながら、「付け届けの取締りを理由に、生徒らの前で大恥をかかされた」と不満を漏らしている。

◆韓国教員団体総連合会(韓国教総)は、「権益委の付け届けの取り締まりは、50万人の教育者を潜在的な犯罪集団と決め付けるものだ」として激しく反発している。付け届けの取り締まりは、生徒らの目を避けて行うべきである。ただ、根強い教師への付け届けの文化をなくすためには、やや衝撃的な療法も必要だという見方もある。3月、権益委が保護者を対象に行ったアンケート調査の結果、18.6%が、「この1年間で、寸志を提供した経験がある」と回答し、このうち、ソウル江南地域が34.6%と最も高かった。1998年、韓国刑事政策研究院の調査の結果の55.2%より大幅に減ってはいる。

◆保護者と教師との間でやり取りされる寸志は、外国人からは理解に苦しむ韓国的な現象だ。昔から、我々の先祖らは、子供を教える私塾の先生に、学費の代わりに自宅で収穫したもののうち、最もよい収穫物をあげる風習があった。今回の世論調査でも、回答者の6.4%が寸志すなわち付け届けのことを、「感謝の気持ちを込めた些細なプレゼント」と認識していた。勿論、大半の人は学校への寸志を「賄賂」(46.8%)と、「賄賂ではないが、なくすべき慣行」(46.8%)と見ている。

◆寸志は、「自分の子供に目をかけてほしい」とか、「少なくとも、不利益をこうむることはないようにしてほしい」という保護者のエゴや韓国社会特有の集団同調文化に起因するものである。「ほかの人たちは皆やっているのに…」という不安にかられ、寸志を手渡すことになるという意味だ。教師らも、寸志を断る場合、同僚の教師から、「自分ひとり、きれいなふりをする」と批判を受けるのではないか気になる。寸志の文化には、保護者や教師両方共に責任があるが、教師が自浄運動を通じて、自ら断ち切るのが最も望ましい。それができなければ、今回の監察のように、外部による口出しを招かざるを得ない。毎年、寸志を巡る議論が起きれば、先生の日が近づいてきたことに気づかされる現実が、まことに残念でならない。