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バージニア工科大学ロイ教授「韓国出身は偶然、犯行とは無縁」

バージニア工科大学ロイ教授「韓国出身は偶然、犯行とは無縁」

Posted April. 17, 2009 08:10,   

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16日午前0時。米ワシントンから西南側に430キロ離れたブラックスバーグのバージニア工科大学の校内。数千人の学生らが、手にしていたろうそくに火を灯した。2年前の同日、韓国出身の永住者、チョ・スンヒ容疑者の銃乱射で、亡くなった32人の犠牲者らを追悼するためのろうそくだった。惨事の現場となったノリス・ホールは、リノベーションを経て、同日再びオープンした。(東亜日報13日付けのA18面で報道)校内では、傷跡を克服しようという誓いで溢れていた。しかし、なぜそのような惨事を防ぐことができなかったのか、再発の可能性はないのかについての反省や懸念の声も多かった。

チョ・スンヒ容疑者が通っていた英文科の学部長であり、指導教授でもあったルシンダ・ロイ教授(53)は15日、東亜(トンア)日報とのインタビューで、「当時、警告のシグナルがあったのに、見逃してしまった」と残念がった。有名な詩人であり、作家でもあるロイ教授は今月初頭、「沈黙する権利はないーバージニア・テックの悲劇」というタイトルの本を出した。

——チョ・スンヒ容疑者への思い出について聞かせてほしい。

「04年春、私の講義に初めて出席した。受講生が200人を超える大規模な講義だったので、特別な出会いはなかった。当時、チョからメールで、単位や出版物などについて聞かれた。それから05年10月、同僚の助教授から、チョの書いた(ぞっとする内容の)数編の詩を見せながら、心配だと打ち明けられた。チョにメールで、一度研究室で会いたいと伝えたが、『叱るつもりか?』という返信が来た。チョは(詩のせいで)処分を受けるだろうと思い込んでいたようだ。『私は学生を叱るようなものではない。』と返事を送った。10月19日、初の面談で、彼は黒いサングラスに帽子を深くかぶったまま、訪ねてきた。微動だにせず、ソファに座り、何か質問すると、10〜20秒ぐらい経ってから、ささやくように短く答えた」

——精神科で相談を受けるように、数回勧めたそうだが。

「そうだ。(精神病関連の相談を)恐れる必要はないと、彼を安心させた」

事件後の捜査結果によると、チョは女子学生にストーカー行為をしたことで、精神科で診察を受け、治療が必要だという診断を受けた。だが、放置されていたことが明らかになった。ロイ教授は本の中で、「ある日、チョと二人きりで座っていたことがあったが、その時、目に憎悪が満ちていて、私を殺したがっているかのように思うほどだった。逃げたかったが、そうするわけにはいかなかった。『私に腹を立てていることがあるのか』と聞くと、頭を振った」と振り返る。

——チョが移民者だったことが、どのような影響を及ぼしたと思うか。

「私も同じく1985年、英国からの移民者である。ある日、他郷で異なる文化に適応しなければならない厳しさや郷愁について語ると、チョは共感を示しながら『さびしい』と語った。やっと反応を示した時だった」

——結局、チョの精神疾患が犯行原因であること明らかになったが、事件直後、韓国社会の一部では移民者の不適応や構造的な疎外のために、(事件が)起きたのではないかという主張もあった。

「チョは、うつ病や選択性緘默(かんもく)症を患ったことが、確認されている。3歳の時から症状があったというから、20数年間、相対的な沈黙の中で生きてきたことになる。精神疾患を患う人が、ほかの人々の言葉や行動を侮辱だと受け止めれば、対応する手立てがない。さらに、周辺の人々からのけ者にされていると感じる人は、いくら些細なことでも大きく傷つくことがありうる。しかし、移民者という点が、銃乱射事件と直接的なつながりを持つとは思えない。学校内での銃乱射事件の歴史を見れば、大半の犯人は白人の米国人だった。たびたび彼らも、自分が犠牲者だと主張する」

——チョの両親と会ったことはあるか。

「ない。彼らはチョが大学に入学してから、初めての学期の時は、週末ごとに9時間も運転して、息子に会うために来ており、毎週電話もした。彼らが中学の時から、息子に治療を受けさせようと努力していたことは、分かっている。しかし、米国では子供が18歳になれば、治療を受けるかどうかを決めるのは、結局本人である」。

——チョが韓国出身だったので、事件直後、韓国社会では懸念する声もあった。

「チョはたまたま、韓国出身であったに過ぎない。国籍や人種的な背景が、その人の暴力性に影響を及ぼすという考え方は、とんでもないことだと、皆分かっている」

——あなたが経験した精神的な傷跡を、どう克服してきたのか。

「大勢の人々が一緒に悲しみ、励ましてくれたことが大きく役立った。特に、当時、韓国人らが我々と悲しみを共にしたことは、非常に大きな力となった。韓国人らは偉大な同情心を示してくれた」

——本の中では学校当局の不適切な対応について、厳しく批判している。

「我々がその事件から教訓を得ることができなければ、この手の事件が、いつまた起きるが分からないという心配があったからだ。問題を抱えている学生には、手助けが必要かどうかを調べ、有効かつ迅速に手助けすることが非常に重要だ。深刻な精神疾患を患う人々は、自分の行動を道徳的な観点から考えようとしない。そのため、早期に手を差し伸べることが、切に求められる」

「学校から目をつけられるのではないか」という質問に、同氏は「非常に挑戦的な状況である。しかし、同僚教授や学生らが大きな支えとなっている」と語り、笑った。



sechepa@donga.com