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「黒い涙」を拭った泰安に笑顔が戻った

Posted December. 06, 2008 10:04,   

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「今年初めまでは、友達との会話でも『これから、どうなるのかしら』と大人びた心配事を口にしていました。でも、今は、芸能人のことなど日常的な会話に戻りました」

チェ・ジュヒさん(13=万里浦中学1年生)の声は元気に満ちている。チェさんの両親は今年6月から、生業であるアサリ獲りを再開した。

両親が、防除作業や生計費の支払いを巡る町内会議への出席のため、毎日夜遅く帰宅していた昨年12月。波濤(パド)小学校6年生だったジュヒさんは、「家族会議を開いた。どうすれば、出費を切り詰められるかついてだった。私は電灯の数を減らし、洗髪するときは、水桶に水を溜めて使うことを提案した」という内容の日記をつけた。

小学校4年生のチェ・ミンヨン君(10)は、再び引越しをしないで済むことが一番うれしい。05年、サラリーマン生活に見切りをつけて、故郷の波濤里に戻り、すし屋を始めたミンヨン君の父親チャンリョルさん(38)は、「客数は大幅に減ったが、今年の夏から営業を再開した」と話した。油流出事故で客足が途絶え、再び都市に引っ越すつもりだった。

大人たちは防除作業などで、四六時中家を空けていため、しばらくは弟や妹の面倒を見ながら、夕ご飯の仕度までしなければならなかった6年生のソン・ユジン(12)さんは、再び戻ってきた日常生活がうれしいばかりだ。ユジンさんの母親金ミジャさん(35)は、「再びわかめ収穫の仕事をしながら、早めに家に帰ってご飯の準備をすると、子供たちが大変喜ぶ」と話した。

波濤小学校のチョ・ジェジン校長は、「児童たちが普段の学校生活に戻ってきた」と喜んだ。

波濤小学校再生対策委員会の朴ビョンチョルさん(38)は、「児童(現在39人)が次第に減り、統廃合の勧告を受けたことをきっかけに、小学生の子供をつれて引っ越してくる人々には漁業権を与えるなど、村を挙げて学校の再生運動を展開してきた」とし、「事故前に引っ越してきた人たちが、残ってくれたのは何よりだ」と語った。

一方、5日、泰安邑(テアンウブ)泰安郡の文芸会館では、「油流出事故から1年、再び蘇った西海岸」と題した行事が、韓昇洙(ハン・スンス)首相や李完九(イ・ワング)忠清南道知事、陳泰龜(チン・テグ)泰安郡長、ボランティアなど2000人あまりが参加した中で開かれた。同日、万里浦海水浴場では「ボランティアを称える詩碑」の除幕式も行われた。



mhjee@donga.com