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朝鮮肅宗の妃・仁元王后が書いたハングル文集3冊発見

朝鮮肅宗の妃・仁元王后が書いたハングル文集3冊発見

Posted February. 09, 2007 06:46,   

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「これだけ珍しい食べ物を、こんな下品な口で食べることができますでしょうか」

王妃の前に平伏した父親は娘からの茶菓を受けても遠慮した。

朝鮮(チョソン)中期の王妃が宮廷入りした後、実家の親との関係を詳細に記録したハングル文集3冊が発見され、学界の大きな関心を集めている。

梨花(イファ)女子大学の鄭夏英(チョン・ハヨン)国文科教授は2006年5月、忠清北道忠州市(チュンチョンプクド・チュンジュシ)の骨董品事業家の李ビョンチャン氏から入手した文集3冊を検討した結果、著者が朝鮮(チョソン)第19代王である肅宗(スクチョン)の3番目の正妃だった仁元(イヌォン)王后金氏と確認されたと8日、明らかにした。

鄭教授は「最初は後代の筆写本であると思ったが、綿密に確認・検討した結果、資料の製本の形や折り方の優雅さ、きれいな字と文章などから王后が直接書いたもので、貴重に保管されてきたことを確信することができた」と説明した。

ソウル大学のシン・ビョンジュ学芸研究士は、「王妃たちのハングル記録はその数が少なく、史料的価値が非常に高いものと評価される」と話した。現在まで残っている王室の女性たちのハングル文集としては、宣祖(朝鮮第14代王)の妃だった仁穆(インモク)大妃『癸丑日記』と思悼(サド)世子の妃だった恵慶宮洪(ヘギョングン・ホン)氏『閑中録』が知られているのみだ。

今回発見された資料は、仁元王后が1702年に肅宗の正妃になった後、生みの親との関係を詳しく記録した2冊、本人がよく読んだ文学作品を集めた1冊など全部で3冊だ。その一つの作品には「父は宮廷に出入りする度にいつも気を使い、身を慎み、履き物の先だけを見て他の所は見ることがなかった」と描写されるなど、当時の宮廷法道の厳格さがまるで映画のようにリアルに描かれている。

鄭教授は「仁元王后の文集には宮廷を出入りした王妃の親の行動ぶりや王妃と交わした対話が生き生きと記録され、当時の王后家の宮廷での生活ぶりを把握することができる」とし「それだけでなく、純粋なハングル記録であるだけに18世紀のハングル研究および宮廷言語研究にも大きく役立つものと期待される」と評価した。

資料の検討作業に参加した儒林団体博約会のソ・スヨン事務総長は「文章の内容が仁元王后の生涯と合致し「私が幼い頃」など1人称の回想スタイルの文章である点、生父金柱臣(キム・ジュシン)のことが朝鮮王朝実録の「国舅金柱臣卒記」と一致する点などから、王后本人が直接書いたということに疑問がない」と明らかにした。

鄭教授は、仁元王后の文集に対する研究論文を梨花女子大学の韓国文化研究所が今月末に発刊する『韓国文化研究』第12号に寄稿し、学界に報告する予定だ。



polaris@donga.com