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[オピニオン]「スパイ前科者」訴訟

Posted December. 28, 2005 03:19,   

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裁判がスポーツ競技に似ていると言ったのは、最高裁判所判事を務めた故・方順元(バン・スンウォン)氏だった。勝負の予測が難しく、最後まで観衆の興味をひくためだという。特に、訴訟の資料が同程度で法律的な問題点がはっきりしない時、さらにスポーツに似てくるというのだ。いずれも、「審判」の最後の勝敗宣言までは、結果がわからない。審判の公正な役割がカギになる点においても、両者は似ている。

◆そのような裁判は、政治にもしばしば「引きずられる」。政争の舞台を裁判にまで広げるためである。維新政権の工作で起った野党総裁職務執行停止「仮処分」もそうだった。問題なく当選した総裁を引きずりおろすために、反対派をつついて裁判にかけさせた。裁判という名の政治工作である。1999年に国家情報院(国情院)の盗聴が明るみになった時、国情院は居直って、野党院内総務を秘密漏えいと名誉毀損の容疑で告発した。野党も対抗して、国情院長を通信秘密保護法で告発した。一方が告訴すれば、相手は対抗告訴で迎えうつ。

◆法廷に移った政争は、政治環境の変化とともにうやむやに終わる。初めの段階では、意気盛んだ。方順元氏の言葉通り、それぞれがもっともらしい主張で論戦を展開すれば、「実体的真実」がどこにあるのか、まったく知る術がない。そうするうちに世論の指弾や怒りが起ってくると、いつそんなことがあったと言わんばかりに取り下げる。考えてみると、「空騒ぎ」や「ごり押し」で世論を静めることが、政界の仕事なのである。

◆「裁判政治」、「軽率訴訟」があまりにも頻繁にある。与野党間や利益集団の間で、「名誉毀損」争いが度を超えている。今回、疑問死真相調査委員会の元調査官たちが、「スパイ前科者が軍司令官を調査しても止める人がいない世の中」という声明を出した保守団体代表を名誉毀損で提訴したが、敗訴した。判事は、「疑問死委員も監視批判の対象であり、多少誇張して不適切かつ辛らつな表現があっても、重要な部分が客観的事実と合致している」という主旨で判決を下した。世の中の万事が「過猶不及(過も不及と同じことだ)」である。訟事は、個人であれ国家であれ、少ないほどいい。

金忠植(キム・チュンシク)論説委員 skim@donga.com