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[オピニオン]未堂の詩

Posted December. 26, 2005 03:12,   

한국어

「懐かしく切ない思いで胸を焦がしていた/はるか遠き若き時代の片隅から/今は帰って鏡の前に立った/姉のような花よ」

韓国詩で広く詠まれている『菊のそばで』の第3連だ。中高年世代ならほとんどの人が、未堂(ミダン)徐廷柱(ソ・ジョンジュ)の詩1、2編はそらんじているだろう。未堂の詩は大学入試にもよく出題されていた。漢字の勉強を怠り、「未堂」を「末堂」と読み間違え、先生に叱られたことも中高年世代の思い出の一つだ。

◆未堂の死後、彼を批判した詩人の高銀(コ・ウン)氏も、一時は「徐廷柱は政府だ」と讃えていた。それだけ未堂は、韓国の詩壇でだれもが否定できない巨木だった。未堂の詩の影響力が衰えた時期は、大体民主化運動に火が付き始めた1970年代の後半からだった。いつからか『菊のそばで』も親日的な詩として批判の対象となり、教科書からも姿を消した。もう未堂の詩は国語の教科書にはなく、選択科目である文学の教科書に載っているだけだ。

◆彼は日本植民地時代末期に生計のため、親日文芸誌の『国民文学』で編集に従事し、神風特攻隊を讃えた『マツイ伍長送歌』のような詩を作った。1980年代にこのような親日行為が問題になると、未堂は弁明する詩を発表した。自分は親日派ではなく「これは天から与えられた韓国民族の定め」と思っていた「従天順日派」だといった。

◆日本植民地時代は韓国人が日本風の名前に変えられ(創氏改名)、学校では毎朝、日本の皇居に向かって敬礼していた時代だった。「抗日の詩を1、2編作ったりして、消極的な抵抗の形で絶筆したりすることは出来なかったのか」と未堂を責めることはできる。しかし、「生きている韓国詩史」、「詩仙」と呼ばれた未堂の詩を、教科書からすべて消してしまうことが果たしてベストなのか。彼の詩は韓国の詩はもちろん、言葉をも磨き上げた。未堂が残した美しい詩は、一人間の非とともに、私たちがかみしめるべき遺産だろう。

黄鎬澤(ファン・ホテク)論説委員 hthwang@donga.com