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「あたたかい哲学」に会いましょう

Posted December. 20, 2005 08:32,   

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「今年のクリスマスは、レヴィナスの10周忌です。人間の存在基盤が、自己でなく他者にあることを生涯、説き続けた彼の命日が、ドイツの神学者ディートリッヒ・ボンヘッファーが言ったように『他者のための存在』としてこの地に降り立ったキリストの誕生を記念する日というのは、深い意味があるではありませんか」。

フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナス(1905〜1995)の哲学の世界を案内した『他人の顔』(文学と知性社)を発行した西江(ソガン)大学の姜栄安(カン・ヨンアン、53)哲学科教授にとって、レヴィナスは、哲学がどれほどあたたかく美しいものかを表現した人だ。

姜教授はそもそも、韓国外国語大学でオランダ語を専攻した語学徒だった。彼は、英語、フランス語、ドイツ語、オランダ語だけでなく、ラテン語、ギリシャ語、サンスクリット語など、11言語を駆使するほど語学にすぐれた能力を持っている。しかし、姜教授は1974年、当時オランダ語科教授だった同徳(トンドク)女子大学の孫鳳鎬(ソン・ボンホ)総長が、国内で初めてレヴィナスの哲学を紹介した本を読み、哲学に一生を捧げることを心に決めた。

「レヴィナスは、西洋哲学が、真理と主体を強調するために、すべてを主体の認識対象に還元させたという点で『帝国主義的』だと批判しました。彼は、その代わりに、人間を人間らしくすることは、孤児や寡婦、旅人や異邦人の苦痛に応える『歓待(hospitality)の精神』にあると説き明かしたのです」。

姜教授は、孫総長の勧めで、ベルギーのルーベン大学に留学し、レヴィナス哲学に入門するために必須のカント哲学で修士・博士課程を修めた。カントは、純粋理性(真理)よりも実践理性(倫理)を強調したという点で、倫理学を第一哲学だと宣言したレヴィナスの哲学に、大きな影響を及ぼした。

「レヴィナスの両親と兄弟は、みな第2次世界大戦中にホロコーストで犠牲になった。フランス軍通訳将校だった彼は、捕虜になったために死を免れた。彼は、ドイツ軍のユダヤ人捕虜収容所で人間以下の扱いを受けた当時、つらい労役を終えて帰ると、はしゃいで迎えたドイツ軍犬だけが、『ナチスドイツ最後のカント主義者』だったと後日、回想しました」。

カントが57歳で『純粋理性批判』を発表し、後に哲学界のスターになったように、レヴィナスは56才の時に『全体性と無限』でフランス国家博士学位を取得し、注目され始めた。

レヴィナスは、「どのような状況でも、人間を手段ではなく目的として対せよ」というカントの定言命令を深めた。カントは、人間に責任を問うには、まずその行為が人間の自由意思によるものかどうかを見極めなければならないという点で、自由が責任に先行すると述べた。一方、レヴィナスは、人間が他者の苦痛に耳を傾ける責任を人間の自由に先行させる時、はじめて自由が意味を持つという点で、責任が自由に先行すると主張した。このような点で、同じポストモダンの哲学者であり、主体の死を強調し、「暴露の哲学」と「転覆の哲学」を展開したフーコー、ドゥルーズ、デリダとは差別される。

レヴィナスの哲学は、恋人や親子の関係という人間の日常の関係を見事に描き出す。

レヴィナスは、男性にとって女性が魅力的な存在である理由は、「私(男性)によって傷つけられる可能性」と「理解不可能性」という他者性を象徴するためだと説明した。また、子は「他者になった私」という点で、人間の有限性を乗り越えると説いた。

「レヴィナスは、人間の主体は、ハイデガーが言ったように空虚なものではなく、隣人、他者、苦痛を受ける人々を支えることで、豊かになると説明し、正義が真理に優先すると言います。これこそ、クリスマスの精神ではないでしょうか」



confetti@donga.com