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[オピニオン]第2の「光復精神」

Posted December. 01, 2005 03:22,   

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島山(トサン)・安昌浩(アン・チャンホ)先生の光復(クァンボク、日本の植民地統治からの解放)への熱望が思い浮かぶ。「我々に残された道は、涙をのんで一歩退き、将来の力を育てることだ。国が滅びたのは力がないせいで、それは力を育てて取り戻さなければならないのだ。団結力を育て、教育と産業を起こし、民力を育てることだ。その道のみが祖国を取り戻す道だ」。光復会が光復50周年と乙巳条約100周年を迎えて宣言した「新精神運動」の脈は、島山の精神に通じているようだ。

◆光復会は、集団的利己主義と物質万能主義のために対立が絶えることなく、「誤って導かれた理念の混乱により、国力が消耗すること」を懸念した。社会の長老たちも「進歩とか保守とか言って組み分けをするのは、21世紀の論争ではあってはならない」と憂慮する。島山先生の「真に実利が得られるように努力し、実行しよう」といった「務実力行」の精神が思い起こされる。つまらない公論と内輪もめに明け暮れるなという忠告だ。産業化の結実を守っていこうという叫びは、つまり「先進韓国を築こう」という叱咤なのだ。

◆「韓国銀行の建物やソウル駅の駅舍はまだ残っていますか」。昨年、東京で会ったある米国記者に聞かれたことがある。彼がソウルで働いていたとき、「朝鮮総督府」の庁舎だった「中央庁」の建物が破壊されたという。韓国人の原理主義に近い情緒は、外国人にも関心の的らしい。実用とはほど遠い過去の清算、過度な歴史への執着は理解しがたいという表情だ。

◆「親が子に与える贈り物には、根と羽の2つがある」。米ジャーナリストでAP通信のソウル支局長を務めたケリー・スミス・ターニーさんが引用する西洋のことわざも、記憶するに値する。彼は言う。「韓国の根っこといえば、誇らかな5000年の歴史と伝統だ。しかし、韓国の子供たちに未来の羽をつけてあげるのは、それより難しく、重要なことではないか」。韓国が直面しているアイロニーはややこしい。根っこを言うべき昨日の老兵たちが集まった光復会が「羽」を言う。反面、「羽」を言うべき若い大統領と彼を取り込んでいる386世代は「根っこ」ばかり掘り下げようと言っている。

金忠植(キム・チュンシク)論説委員 skim@donga.com