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全光榮画伯、スチロフォームを韓紙で包んだ立体作品展 

全光榮画伯、スチロフォームを韓紙で包んだ立体作品展 

Posted November. 16, 2005 08:23,   

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国内の美術市場では作品そのものより学縁や人脈が働いて過小、過大評価される作家がいる。このような現実に幻滅を感じた数人の画商たちは1990年代半ばから国際市場に注目したが、彼らの予想は的中した。国籍と名前を問わず作品だけで取り引きされる市場に、韓国出身のスター作家たちが出始めたのだ。その頂点に全光榮画伯(チョン・グァンヨン、61)がいる。

全画伯は三角形に切ったスチロフォームの切れ端を韓紙に包んだ後、平面の木カンバスにパズルのように貼り付けて墨で染色する「集合(Aggregation)」連作で、スイスのバーゼルと米国のシカゴなど大規模アートペアで売り切れを更新した。名前さえ言えば分かる多国籍企業と美術館が主なコレクターである全画伯は12月、世界10大画廊の一つである英国ロンドンの「アネリージュダギャラリー」で大規模な招待展を開く予定だ。

今月15日〜12月18日、ソウル鐘路区昭格洞(チョンログ・ソギョクドン)国際ギャラリー(02−735−8449)で3年ぶりに開く全画伯の個展は、国内よりは海外でより有名な作品を、新作だけで観覧することができる展示。全画伯は50代になってはじめて「知られた」典型的な大器晩成型の作家だ。遅く大成する人々が経験しがちな長年の忍苦の歳月が全画伯にもあった。全画伯は自分の過去が「拒否に撤した人生だった」と回顧する。

家業(煙瓦工場)を引き継がない息子と縁を切った父親の拒否。青雲の夢だけでは力不足だった米国画壇の拒否。帰国後、作家の長年の空白と実験精神を受け入れてくれなかった韓国画壇の冷遇は、弘益(ホンイク)大学美術学部、米フィラデルフィア美大卒業という、それなりに主流の学脈を持つ全画伯にとっては、さらに耐えにくいものだった。そのうえ、ゴミ箱まであさるような貧乏まで経験した。

米国で不法滞在者として荒仕事をした時代、全画伯はある日このような文章を残した。

「…作業室の床はいちめん水に浸った。夜通しで描いたものが水の上に浮かんでいた。目つきは憎悪に燃え、ぎゅっと握りしめた拳がぶるぶる震えた。私は泥水を手で叩きながら泣き叫んだ。神様、私をほっといてください。助けてくれることはできないにしても、苦しめず知らん振りしててください」。

帰国しても生活は良くならなかった。生計のために始めた美術塾がある程度落ち着くと、また全画伯を襲った悩みは作品に対する懐疑。『光』という話題を持って抽象を描いてきた全画伯は、想像力の枯渇と取り組んだ。妻と一緒にただ全国を歩き回った。そのうちにますます私のもの、私たちのものというアイデンティティに直面した。

「合わない服を無理やりに着こなすように、あまりにも他人のものに沒頭しすぎたという自覚とともに、ふと昔の大人たちが使ったものが新しく見えた」

韓紙を利用した彼の独特な作品は、このようにして生まれた。

「故郷へ帰って、江原道(カンウォンド)の祖父の長兄の漢方薬屋の天井にぶら下がっていた薬の包みからインスピレーションを受けた。小さく刻んだスチロフォームを韓紙で包む行為の中には、韓国だけの独特なふろしき文化がある。西洋のボックス(Box)文化は計量、定型という型にはまった文化だが、豊かに包む韓国のふろしきは情を象徴する」。

各新作は単純な集積から脱して立体效果が目立つ。墨の濃淡とスチロフォームの切れ端の大小が醸し出す立体效果は、田に刻まれた足跡のようでもあり、隕石が落ちたところのようでもある。大部分1000号が超える大作だが、一つの作品に3万個余りのスチロフォームの切れ端を包んで、縛って、貼り付けるので、多ければ10万回ほど手で触ったことになる。人間の労働が与える暖かさと力を感じさせる。



angelhuh@donga.com