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[オピニオン]洪蘭坡

Posted November. 14, 2005 03:07,   

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洪蘭坡(ホン・ナンパ)が1920年に作曲した『鳳仙花』は、日帝統治下の朝鮮人の愛唱曲だった。「垣根の下の鳳仙花よ/おまえの姿は悲しげだ」と民族が置かれた境遇を悲しむ。日帝の弾圧が激しかった1942年4月、ソプラノ歌手の金天愛(キム・チョンエ)は東京で開かれた全日本新人音楽会に白チマチョゴリ姿で舞台に上がり、この曲を歌った。会場の朝鮮人たちは涙のエールを送ったと言う。帰国した金天愛がこの歌をよく歌ったため、日帝は「禁止曲」に分類してしまった。

◆洪蘭坡は、国内初のバイオリニストでもあった。夫人、李デヒョンさんの回顧によれば、3・1抗日独立運動が起きると、洪蘭坡は大事にしていたバイオリンを抵当に預けて作ったお金で、独立宣言書数千枚を刷って配布した。彼は、日本警察の「要注意人物」として監視を受けたが、獄中生活でかかった肋膜炎が再発し、1941年に43歳で世を去った。昨年死去した夫人の李さんは、遺言のなかで「私の死を知らせなくいで。とりわけテレビには秘密にして」という言葉を残したそうだ。洪蘭坡の行状が「親日」論争に巻き込まれてからは、もし火種が大きくなったならと気にしていたのだろう。夫人の惨憺たる心境が読み取れる。

◆音楽家たちが「洪蘭坡弁護」に出た。今年8月に親日人名事典編纂委員会が洪蘭坡を親日派名簿に入れたのは不当だというのだ。先週、ソウル鍾路区紅把洞(チョンノグ・ホンパドン)にある洪蘭坡の旧宅で追慕音楽会を開いたのに次ぎ、今日はセミナーを開く。「親日」に取り上げられる人物を庇えば、直ちに親日派扱いされる世相のなか、音楽家たちが全面に出ることは容易なことではなかったはずだ。しかし、洪蘭坡を愛する音楽家たちは、そういう野蛮に屈しなかった。

◆政治は、いつも芸術家を宣伝・扇動に動員して来た。植民地統治に戦争まで重なった時期の状況を、後代の感覚と想像力で正確に理解することは不可能に近い。それなら洪蘭坡の生涯を客観的に証言できるのは、少なくとも前後の事情を聞いて知っている同じ音楽家たちではないだろうか。最初から「正義が敗れた歴史」という結論を下ろしてから始まった歴史清算で、洪蘭坡が置かれた境遇が歌の中の「鳳仙花」のようだ。悲しい事だ。

洪賛植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@dong.com