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[オピニオン]宣伝と広報

Posted October. 29, 2005 03:14,   

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◆ナチスの宣伝大臣ヨゼフ・ゲッベルスは、「嘘も大きな声で繰り返せば大衆が信じるようになる」と主張した。「大きな嘘の理論」だ。宣伝(propaganda)は、このように特定の政治的目的に大衆を引き入れるために感情に訴え、必要ならば嘘も動員する否定的方法だ。一方、現代民主国家でいう広報(publicity)は正確な情報提供を通じて好意的世論を造成するという肯定的意味が含まれている。

◆しかし、宣伝と広報の境界はあいまいだ。取材源の公開を拒否したという理由で85日間拘束されて英雄あつかいされた米ニューヨーク・タイムズ紙のジュディス・ミラー記者も、政府宣伝工作の犠牲者であることが、後に明らかになった。ミラー記者は、米国のイラク侵攻決定前に、ホワイトハウスの 「ディープスロート(Deep Throat)」を引用し、何度も報道されたイラク政府の大量破壊兵器(WMD)保有疑惑の記事が、政府の「情報操作」に振り回された可能性が大きいという理由で、最近会社の内部調査を受けているという。

◆宣伝方法はさまざまだ。複雑な論争の単純化や論点を変えることにも使われる。2002年の大統領選挙のさいに、盧武鉉(ノ・ムヒョン)候補が義父(妻の父)の左翼活動の是非について「それなら、愛する妻を捨てろということですか」と言い返し、論争の増幅を遮断したのもその範ちゅうに属する。「嘘にはもっともらしい嘘、真っ赤な嘘、そして統計がある」という言葉のごとく、統計操作もお決まりの手法だ。8・31不動産総合対策発表に先立ち、政府は「人口上位1%が全私有地の51.5%を所有している」と、間違った統計を出した。

◆政府が特定マスコミに対する公務員の寄稿を禁止し、一部省庁の広報担当者たちは訂正報道の実績をあげるために新聞記事をインターネットで照会し、間違いを見つけても見て見ぬふりをすることまであるという。このうち、趙己淑(チョ・ギスク)大統領広報首席秘書官は、「盧大統領が『国民をあざむくことだ』と言って、経済に力を入れるというイメージづくりに拒否感を示している」とし、「広報が難しい」と言った。参加政府はどうも、宣伝と広報を勘違いしているようだ。広報の出発点は真実だ。

李東官(イ・ドングァン)論説委員 dklee@donga.com