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エリート将校の転落 イラクの「地獄の黙示録」

エリート将校の転落 イラクの「地獄の黙示録」

Posted October. 25, 2005 07:25,   

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「米陸軍のトップエリート将校が、戦争経験を通して変化し、結局ドロップアウトした」

米紙ニューヨークタイムズが日曜日に発刊する「ニューヨークタイムズ・マガジン」が、23日付のカバーストーリーでとりあげた、映画のような話だ。

非運の主人公は、部隊員たちの逸脱行為に対する指揮責任を負い、最近不名誉除隊したネイソン・ササーモン(41)中佐。

ササーモン中佐は知的能力、体力、リーダーシップなどすべての分野でトップを走ってきた米陸軍のトップエリート。陸軍士官学校のウェストポイントを出たが、彼はプリンストン大学の入学許可を得るほど学業成績が優秀だった。

フットボールにも優れた才能を発揮した彼は、ウェストポイントが1980年代に驚異的な成績を記録するのに主導的な役割を果たし、すでに陸軍では知らない人がいないほどの「スター」だった。

イラクに配置されてからも、卓越した能力を示した。ワシントン大学の行政学修士課程出身者でもあった彼は、担当地域のバラードで、イラクのどの地域よりも先に、独自の住民投票を実施して自治組職を構成した。毎週金曜日にはイラク人たちと部隊員たちがサッカーをともに楽しむほど、地元住民たちとの関係も良好だった。

このようにイラク再建に特別な情熱をもったササーモン中佐に、2003年11月を境に変化がみられ始めた。一部の隊員が、スンニ派密集地域であるヒシュマに巡察に出かけ、反乱軍が投げた手榴弾に当たり、体が二つに裂けて死んでから、彼は「別人」になった。

イラク人に裏切られたと考えた彼は、「鉄拳統治」を選んだ。ヒシュマを封鎖して成人男性には別途の身分証を発行し、身分証がなければ都市への出入りを阻止した。

反乱軍の攻撃には残忍な血の報いをもって対した。司令部が攻撃を受けると、空爆を二度も要請して数千パウンドの爆弾を注ぎこんだ。反乱軍掃討作戦も、無慈悲に指示した。反乱軍と疑われる人が住んでいる家には、対戦車ミサイルを撃ち込んで廃墟とした。

このような鉄拳統治により、反乱軍の攻撃は減ったが、その代価は大きかった。イラク人たちが夜な夜な子供たちに「言うことを聞かないと、ササーモン中佐が来て連れて行くよ」と言うほど、彼は恐怖と呪いの対象になった。

直属の上官が「過度に攻撃的な方法は慎め」と指示したが、彼は「現場を知らない人の言葉」と言い、自分の方法に固執した。彼の黙認の下で、部隊員たちはイラク人を相手に不当な暴力行為を振るい続けた。

彼が不名誉除隊となった事件は、通行禁止時間を破ったという理由だけで、部隊員たちがイラクの民間人2人を川に投げ込み、このうち1人が溺死したというものだ。

思慮深く理想主義的志向の強かったエリート将校が、部下の無残な死にざまを見て、徐々に人間性のすさんだ「占領軍」に変わったのだ。

状況は違うが、ベトナム戦争をテーマにしたフランシス・コッポラ監督の映画『地獄の黙示録』が思い浮かぶのも、まさにこのような側面からだ。

19年の軍生活を整理し、フットボールのコーチをしようと思っているという彼は、「イラクでの経験をどう思うか」というニューヨークタイムズの記者の質問に、こう答えた。

「彼ら(陸軍)は私たちをバスの下に投げ捨てた」



kong@donga.com