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[社説]「親北左派」を保護するのが「検察保護」なのか

[社説]「親北左派」を保護するのが「検察保護」なのか

Posted October. 17, 2005 06:38,   

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文在寅(ムン・ジェイン)大統領府民政情首席秘書官は昨日、千正培(チョン・ジョンベ)法務部長官の指揮権行事と関連し、法の原則と人権を守るためのものと主張し、「検察に対する民主的な統制であり、独立性を毀損したわけではなく、かえって保護したわけだ」と主張した。しかし、自由民主主義という国基に挑戦する偏狭な「親北朝鮮の左派」をかばうため、「身体の自由」と「人権擁護」を取り上げるのは、誰が見ても牽強附会であり、詭弁だと言わざるを得ない。

人権擁護を掲げた指揮権の行使が必ず必要だったならば、体制への挑戦や国論分列を狙ったケースではなく、ほかの事案で探すべきであった。いつからこのように政権と長官が人権擁護に尽力するようになったのか問い返したいものだ。文首席秘書官が検察の内部反発に対して、「非検察出身の長官に対する拒否」云々したのも、説得力どころか同政権特有の「組み分け」病のように聞こえる。「政治家長官」による「独立性揺さぶり」に対抗した検察の自救本能を、どうすればそのように解釈できるのか、驚くばかりである。

「検察権の中立性」というとき、被疑者や弁護士、裁判所からの独立を思い浮かべる人はいない。まさに政治権力からの独立、政権に左右されず厳正に国家刑罰権を行使することを意味する。そうした意味で今回の検察総長の辞退は、司法史に汚点として残るだろう。なのに、文首席秘書官は政治家長官の検察への圧迫を「民主的統制」だと糊塗しているのだから、掌で空を覆うわけだ。

今回の事態を通じて、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領、文首席秘書官や千長官こそ、国民統合と国の発展に向けた努力より、個人的な所信や偏った価値に執着する政治家であることを改めて確認させる。「姜禎求(カン・ジョング)教授拘束の可否」という、見方によっては枝葉末節の問題で検察権を揺さぶり、国民を不安にさせる危機をもたらす愚かさも示した。

文首席秘書官は、「大統領の時代精神」を強弁しつつこの騒ぎを合理化しようとしている。経済難に悩まされている国民の苦痛と民生に目を向けるどころか、親北左派をかばうため、検察揺さぶりも辞さないのが時代精神なのか。政治の前後も、優先順位も分からず、内部調律力も備えていない無能な政府の歪曲した「時代認識」で苦労するのは結局、国と国民である。