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[オピニオン]反省と時流

Posted October. 12, 2005 07:04,   

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大統領に3権を統轄する非常大権を与えた維新憲法発効後、司法は事実上独立を失い、政治権力に隷属した。維新以後、第5共和国に至るまで、政治権力の圧力に抗拒する判決が司法の一角からは出たが、大多数の裁判官は権威主義政権に順応した。チョン・スアンソウル高裁部長判事は最近、参加連帯が発行する『司法監視』に寄稿した文で、「人々に噂され人口に膾炙する恥ずべき判決は、多くの判事が疑問に思ったり、一般国民と同じく憤りを感じ、家に帰ってから家族ににらまれた判決」と書いた。

◆李ヨンフン最高裁判所長が権威主義政権下の時局事件判決記録を集めてみると言った後、司法内部で過去史反省の声が少なくない。ユ・チダム最高裁判官は、35年勤めてきた司法部を去るにあたり、「権力に立ち向かって司法部独立を叫ばなければならなかった権威主義時代に沈黙した」と反省した。当時、裁判官は多かったが、ユ最高裁判官のように率直な反省をした人はいなかった。しかし、ユ最高裁判官の反省も、司法部内外の気流に影響を受け出てきたものだという思いがする。

◆チョン部長判事は、「過去の判決の間違いが認められれば、最高裁判所長が裁判所を代表して謝罪しなければならない」と主張した。良識ある法曹界関係者や学者の間でも、独裁が終息してから18年も過ぎたのに、過去の恥ずかしい判決に対し、告解する過程がないのは間違っているという指摘が出ている。しかし、チョン部長判事が過去史反省に関して言及するのが、「最近の時流」に合うようだが、適切かどうかについては考えてみなければならない。チョン部長判事が唯一の女性高等裁判所部長判事で、最高裁判官と憲法裁判所裁判官の有力な候補に上っているからだ。

◆盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は、国家の全ての過ちが過去史から始まったかのように、「過去史清算」の風を吹き起こしている。このような風からも超然としているのが、真の司法権独立だ。権力の風向に過度に敏感でいれば、将来に反省することがまたも作られるかも知れない。ややもすれば、最高裁判官と憲法裁判官の任命権を持った大統領を意識し、過去史反省の風に乗っていると誤解されるかも知れないからだ。

黃鎬澤(ファン・ホテク)論説委員 hthwang@donga.com