Go to contents

善竹橋・朴淵滝の親しみが…

Posted September. 09, 2005 07:43,   

한국어


こんなに近いとは。開城(ケソン)試験観光(8月26日)に行ってきた人々の一様な言葉だ。

臨津江(イムジンガン)に面したの坡州(パジュ)のチャンダンコン村。そこから川を渡って国道1号線(新義州〜木浦)から民統線を経由してして開城に向かう。板門店(パンムンジョム)に向かう道が枝分かれする軍内(グンネ)の三叉路。開城までちょうど18kmだ。速い速度で車を走らせれば10分で行けるような近い所。もちろん非武装地帯の鉄柵がない場合だ。今は南北双方の事務所を順に通過するためだけでも、一時間半かかる。

人々は問う。開城観光は行ってみるに値するかと。私の答えは同じだ。もちろん。ぜひ行ってごらんなさいと。普通、観光とは見どころが優先だ。しかし、もっと重要なものがある。感じだ。感じまで良ければ、そこは無条件行ってみても良いところだ。

開城は感じが良い。例えばこうだ。武陵桃源やシャングリラのような極端の理想郷ではなくても、夢に描いた所を尋ねたときに押し寄せる神秘感。それとも幼いときに住んでいた家を数十年ぶりに訪れたときや、路地で記憶の一部と一致する大門の落書きのようなものを見つけたときに抱く暖かさ…。

開城市内に入ると、そんな感じがする。古くてきれいでなくても、よく整った低い住宅と建物。道路(2車線)は広くて、余裕の感じられる歩道。その道をおよそ30年前に私が履いた運動靴を履いて歩いている人々。タイムマシンに乗って幼いときの記憶の中に戻った感じだ。

ひょっとしたら自転車が傷付いてしまうのではないかと、段差があるところでは自転車から降りて、前のタイヤを持ち上げ用心深く越えて行く人々。行き交う車がなくて空いた道路に漂う静かな平和。清い水の小川を裸で泳いでいるあどけない子供たち。窓の隙から異邦人のバスの列を好奇心に満ちた目で眺める住民たちの慌しい瞳など。

開城との遭遇はこう始まる。急に時計の針を30年前に戻したような状況で起きる愉快な錯覚。時間が止まったような空間で感じる静けさ。これこそ開城観光の真髄であり地球上どこでも捜すことができない魅力だ。

高麗(コリョ)と朝鮮(チョソン)、両王朝にあまねく出会う開城。朝鮮と漢陽(ハンヤン)を誕生させた所がまさにここではないか。「夢」の字を使う鄭氏家の二人の男(鄭夢周と鄭夢憲)を、700年の差で歴史に登場させた現場でもある。

観光の途中に立ち寄った開城市内の善竹橋(ソンジュクギョ)と成均館(ソンギュングァン、高麗博物館)、郲陽(スンヤン)書院。手の平のような開城市内でこの3ヶ所は目と鼻の先だ。長さ6.67mの石橋の善竹橋は、「何如歌」を歌って朝鮮の創業に一緒に参加することを勧めた李芳遠(イ・バンウォン)が、「丹心歌」できっぱりと断った忠臣鄭夢周(チョン・モンジュ)を殺害した現場だ。

かくして朝鮮は誕生して、その基礎は易姓革命の哲学を提供した鄭道伝(チョン・ドジョン)によって構築される。成均館を訪れるのは、ここでは重要だ。両極端の道に立った鄭夢周と鄭道伝。

しかし、二人は牧隱李穡(モクウン、イ・セク)に師事して、一緒に勉強した友達だ。その成均館は当時、師匠と弟子が一緒になって朱子(ジュジャ)を講学した学問の殿堂である。

善竹橋石床の赤い跡は実在する。忠臣の血が滲んだ跡とし誰もが訪れてみるが、実は鉄成分の酸化の跡に過ぎない。成均館も昔の姿そのままだ。その中の明倫(ミョンリュン)堂などは、高麗博物館として使われている。高麗青磁と高麗人の世界初の金属活字の原本一つが目を引く。

郲陽書院は、鄭夢周の旧家の跡地に建てられた(1573年)朝鮮時代の教育機関だ。現在は高麗の文臣の位牌を祭っている。階段式建築物の一番上の祠堂に、鄭夢周の肖像が安置されている。

開城観光の醍醐味は朴淵(パクヨン)滝だ。開城市内から車で40分の距離にある天馬山(チョンマサン)とソンゴ山の間の谷間にあるが、落水(落差37m)よりは滝上下の池(朴淵と姑姆潭)とあずまや(ボムサジョン)、そして森が成す素敵な風景がもっと見どころだ。

正面よりは側面のが美しい。姑姆潭(コモダム、滝つぼ)の左側にある竜岩に上がって、水しぶきを浴びながら見るともっと素敵だ。撮影の位置としては、右側の高い岩に建てられたあずまやであるボムサジョンが良い。

開城と言えば、黄真伊(ファン・ジンイ、朝鮮中宗のときの芸者)が思い出される。この山の知足(チゾク)庵で10年精進した後、生仏として称えられた知足禪師を誘惑し、松嶽山滿月臺(ソンアクサン・マンウォルデ)で王族碧溪守(ピョク・ゲス)を歌一曲(碧溪守落馬曲)で、ロバから降りさせた彼女が、開城で一番の風光の地であるここに、その足跡を残さなかったはずがない。

姑姆潭の竜岩を見てみよう。「飛流直下 三千尺 擬視銀河 落九千」という漢詩が崩し体で篆刻されている。滝の落水を天の川に比喩したこの詩は、黄真伊が滝の水で髪を洗った後、その濡れたた髪の毛で一筆揮之した詩と伝えられる。

天馬山(762m)は開城の珍山。この山を囲む長さ10kmの大興(テフン)山城は外国の侵略に備えて築造した避難城(ピナンソン、長さ10km)で、北門が滝の近くにある。北門を通って山道から850m行けば、観音寺(クォンウムサ)という寺がある。寺につながる滝上流の小さな谷道は、鬱蒼な森と陰が繰り広げる静かな風景が素晴らしい。散歩の速度で行っても、1時間で十分だ。

●旅行情報

試験観光は7日に終わったが、まだ本格的な観光日程はできていない。お問い合わせは現代峨山(ヒョンデ・アサン)本社02—3669—3000。



summer@donga.com