Go to contents

膨大な盗聴資料、「全量廃棄」は本当か なお深まる疑問

膨大な盗聴資料、「全量廃棄」は本当か なお深まる疑問

Posted August. 06, 2005 06:18,   

한국어

5日、国家情報院(国情院)が金大中(キム・デジュン)政権末期の02年3月まで、国情院による不法盗聴・傍受が行われ、携帯電話まで盗聴していたことを発表したのは、国情院としては苦しい「告白」だった。国家情報機関の首脳が当該機関の盗聴事実を明らかにしたのは、世界的にもまれなことだ。しかし、こうした告白をうのみにするには、余りにも多くの疑問や不信が広がっている。

▲盗聴、今はしていないか〓金泳三(キム・ヨンサム)政権時代、国家安全企画部(安企部、国情院の前身)の不法盗聴組織のミリムチームの実体を暴露した元国情院職員の金基三(キム・ギサム)氏は、「国情院が02年3月までの期間のみ、不法盗聴をしていたという発表は信じられない」と5日、述べた。

金氏は、その後も盗聴が行われていた事例を具体的に提示した。例えば、野党ハンナラ党の鄭亨根(チョン・ヒョングン)議員は02年9月24日、国会政務委員会の金融監督委の国政調査で、韓化(ハンファ)グループの金然培(キム・ヨンベ)副会長と海外に滞在していた金升淵(キム・スンヨン)会長が02年5月ごろ、国際電話で話し合った対話の一部を公開した。

鄭議員は、「国情院高官の一部のみが閲覧できる内容だ」と主張し、この文件は政界に相当な波紋を投げかけた。

金氏は、「その年の10月、国情院が盗聴・傍受業務を担当していた国内次長傘下の科学保安局を10月ごろ廃止したと聞いている」と述べ、「国情院が盗聴業務を中断したと発表した以後の対話内容が盛り込まれている盗聴文件はいったい何なのか」と聞き返した。

国情院で勤めた経験の持つほかの人の反応も、おおむね似ている。不法ではあるが、最も効果的な情報収集手段の盗聴を、どの情報機関も簡単には諦められないということだ。上部の指示がなくても、下の職員が情報収集のレベルでいくらでも盗聴することができる。

「情報収集の必要悪」である盗聴が国情院だけでなく、警察や軍のほかの機関によって行われる可能性も排除できないという指摘も出ている。

▲盗聴資料は全部廃棄されたのか〓過去の情報機関によって行われた広範囲な盗聴資料がどれほど残っているかも疑問だ。国情院は同日、「1995年9月以前の資料は一般録音機のリールテープで、その後の資料はPCファイルで保存した。リールテープとPCファイルを1ヵ月後に廃棄したので、今残っている資料はない」ことを強調した。

しかし、元ミリンチーム長の孔運泳(コン・ウンヨン)容疑者(58)場合も、安企部は全部廃棄したという話は知っていたものの、それは「期待」に過ぎなかったことが続々と明らかにされている。

特に、PCファイルはいつでも簡単にコピーや転送をすることが可能なため、流出の可能性はその分高い。不法盗聴が通常国情院本部ではなく、ソウル市内の秘密の家屋で小規模の盗聴チームによって行われたのも、資料の流出可能性をさらに高めるものだ。

1997年と2002年の大統領選挙当時、国情院の職員たちが与野党候補に接近したのは、実際、資料の流出が行われたという主張にさらに信憑性を加えている。

1997年大統領選挙当時、内部資料を流出して某候補に渡したA氏や、02年の大統領選挙で特定候補側に立ったB氏の事例は、国情院で知らない人がいないぐらいだ。

国情院の元職員は、「不法盗聴なので、資料処理に対する明確なルールがない。そのため、不法盗聴の内容を、今いちいち全部把握するというのはとんでもないことだ」と述べた。結局、予算や組織がベールに包まれている情報機関の特性から、不法な盗聴内容や資料流出の有無を把握するのは、そもそも不可能だということだ。

▲食い違う主張〓国情院が発表した中間調査結果と、事件の関連者の供述が食い違っているのも、これから検察の捜査を通じて明らかにしなければならないところだ。国情院によると、千容宅(チョン・ヨンテク)前国情院長が李ゴンモ(60)当時監察室長に不法盗聴テープの回収を指示したのは、1999年11月下旬だとのこと。

しかし、李前室長は、「1999年の夏、上部から盗聴文件に対して調べるように指示された」と話した。国情院の発表と李前室長の供述にはおよそ2、3ヵ月のずれが存在している。



needjung@dona.com wing@dona.com