Go to contents

[オピニオン]兄弟

Posted July. 23, 2005 03:11,   

한국어

兄弟とは、妙な関係である。仲良く思いやれば互いに力になり、「兄弟は勇敢だった」という美談を生む。しかし、権力や金のために歪めば、恨みは他人よりも恐ろしい。中国の魏の曹操の息子・曹丕は、弟の曹植を憎み苦しめた。曹植の才能を妬んだ兄は、七歩あるく間に詩を1首作るように命じる。できなければ死ぬ、その時に詩ができた。「豆を煮るに豆がらを燃やす、豆は釜の中で泣いていた、もとは同じ根から生まれた同士、どうしてこんなにまで煮て、ひどく苦しめるのですか」(煮豆燃豆萁 豆在釜中泣)」。有名な『七歩詩』である。

◆朝鮮太祖の李成桂(イ・ソンゲ)の息子・芳遠(バンウォン)が起こした血なまぐさい「王子の乱」もある。腹違いの弟・芳碩(バンソク)が後継者とされるや、反乱を起こした。重臣を殺して、弟の芳碩と芳蕃(バンボン)を殺害する。太祖は怒りを静めることができず、咸興(ハムフン)に引きこもってしまう。息子の芳遠が送った「謝罪使節」は2度と戻ることなく、「咸興差使(使いに行った者が行ったきり帰ってこないこと)」になる。

◆日本古代史の最大の反乱も兄弟の王権争いだ。672年、天智天皇が長男に権力の座を譲ろうとするや、弟である大海人王子が反乱を起こして、天武天皇になる。12世紀、武士政治を開いた有名な源頼朝も、弟の義経と手を取り合って政敵を掃討した後には、弟を無慈悲にも踏み付けた。

◆「兄弟が争った後に仲睦まじくなることは、要塞を奪取するよりも難しい。その恨みは、城門のかんぬきのように折れない」。聖書の戒めの言葉は、2000年前の兄弟関係を示唆している。数年前、現代(ヒョンデ)グループ創業者の鄭周永(チョン・ジュヨン)氏の晩年と死去後の息子たちが見せた葛藤も、「王子の乱」と呼ばれた。今度は、斗山(トゥサン)グループの兄弟争いが加熱している。グループの会長から引き下ろされた朴容旿(パク・ヨンオ)氏が、弟の朴容晟(パク・ヨンソン)新会長の「秘密資金」について検察に投書した。すると、朴容昆(パク・ヨンゴン)名誉会長ら兄弟たちが、朴容旿氏をグループから退出させることにした。兄弟仲睦まじい企業として羨望の的であった斗山グループで起こっている「兄弟抗争」は、「兄弟の無常」を感じさせる。

金忠植(キム・チュンシク)論説委員skim@donga.com