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オ・ザヒル

Posted July. 16, 2005 03:06,   

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世界的なベストセラー『アルケミスト』を書いたブラジル作家パオロ・コエーリョの新しい小説『オ・ザヒル』の韓国語の翻訳本が出た。評価はさまざまだが、この作品の意味を新世代の代表作家であるキム・ヨンス氏の書評を通じて見てみる。

『オ・ザヒル』の導入部には、コンスタンティノス・カヴァフィスの『イタカ』という詩がある。この詩には、「道の上で、汝はすでに豊かになったのだから/イタカが汝を豊かにしてくれると期待してはいけない」という文句がある。この文句は、小説の主題を集約的に示している。すなわち「オ・ザヒル」は、21世紀版「オデッセウス」だ。オデッセウスが、ペネロペが待つイタカに向かって遠い旅行に出かけたように、この小説の主人公は、ある日突然いなくなった妻を探してカザフスタンまで探しに出た。その旅路で、主人公が本当の愛の意味を悟ることになるのは当然だ。

ここまで言えば、「オ・ザヒル」は、現代版の寓話のように見えるかも知れない。コエーリョによれば、イスラムの伝統に由来する「ザヒル」は、目に見え、実際に存在し、感じることができるあるもので、ひとたびそれと接すると、徐々に思考を占領していき、最後には他の何にも集中できないようにする事物や人をいう。この小説では、「ザヒル」とは、消えた主人公の妻であるかも知れず、自由であるかも知れず、愛であるかも知れず、あるいは私たちの内面に込められた神聖であるかも知れない。それが語るメッセージは簡単だ。「今までの汝であることをやめなさい。そして汝自身になりなさい」。

しかし、小説家である主人公が言うように、メッセージは重要ではない。すべての小説は、圧縮されることを拒否するためだ。コエーリョが、ニュー・エイジ小説家に区分されるだけに、この小説にもそのような要素はしばしば登場する。例えば、「ただ現在だけです。彼らが常に幸せな理由は、まさにそれです」とか、「世の中を変えたければ、戦士たちが焚き火の周りに集まって座り、話をした時代に帰らなければならない」とかいう文章だ。この文章は、ニュー・エイジの関連書を想起させる。そのような点で見ると、コエーリョの他の小説と同じく「オ・ザヒル」も文学書を装った自己啓発書だと言える。

この小説には、現代人にとって重要な問題がたびたび登場する。コエーリョは、結婚制度の合理性、本当の愛の意味、金銭と幸福の相関関係などを取り上げる。この問題から自由な人はいないため、またもや読者たちは「オ・ザヒル」が発する問いに考え込むしかない。この問いの答えで、コエーリョは遊牧民の生活を取り上げ、実際にカザフスタンのステップを訪れる。ステップでは誰もが、「うまく組み合わさっていたすべてのものは混乱に陥り、確固たる真実と思われたものはすべて揺れ動く」経験をするためだ。

コエーリョは問いをしばしば投げかける。しかし、今回の答えはとても巧みだった。彼が言う「遊牧」という概念は、とても魅力的で挑発的だ。本には一つ目の怪物キクロプスに出会ったオデッセウスが、どのようにしてその危機を切り抜けたかを引用した。遊牧がすべての質問の答えになる理由がそこにある。私たちは誰でもない。私たち自身であるにすぎない。本文中には、韓国の読者のためのサービスもあるので、よく探してほしい。