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写真の中に娘の怨霊が…恐怖の津波!

Posted July. 01, 2005 05:54,   

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映画「シャッター」は、派手なコンピューター・グラフィックと撮影技術、複雑に絡み合うストーリがあふれるこのごろのホラー映画に、確か警鐘を鳴らすところがある。「タイ版伝説の故郷」と呼ぶに値するこの映画は、単純明瞭なタイトルのように、基本に充実でいる。

写真作家のターン(アナンダ・エボリングハムが扮する)は、ガールフレンドのジェーン(ナタウェラヌット・トンメ)が運転する自動車で、大学の同窓会に行く途中に運転ミスをして、ある女性を引く。2人は恐怖のあまりにひき逃げをする。以後、2人の目には怨霊が見え初め、事故現場に行ってみたターンは、この場所でどのような事故も起きていないことを確認する。ターンの大学の同窓生たちは、わけの分からない理由で一人ずつ自殺し、ターンとジェーンは、写真に撮られる怨霊の実体を探る。

「シャッター」の魅力はいわゆる「5%捻り」にある。ストーリとイメージの95%は、従来のホラー映画の成功図式をそのまま持ってきた。時速120キロで走る自動車の窓の外から怨霊の顔がいきなり現われ、目が覚めると、ベッドの脇に怨霊が立っており、逆様になって髪の毛を長くぶら下げた怨霊が天井を歩く姿がそうである。いきなり後ろへ振り向く瞬間現われて、電気が消えては再びつけられるその瞬間、目の前に立っている、怨霊が出現するタイミングさえ、今やださいと思えるほど、正道を歩く。

しかし、映画は残りの5%を捻りまげて、とても新鮮なホラー映画であるような錯覚を呼び起こす。たとえばこのようなものだ。怨霊を避けて、はしごを降りてくる主人公が急に上を見上げる。あっと、その瞬間、怨霊がはしごに逆にぶら下がったまま追いかけてきている。こういうふうに怨霊を「逆さまにする」ことで、映画は心臓が凍えるほどの印象的なシーンを作る。鋭い金属製の効果音も恐ろしいビジュアルと緊密に連携しながら、恐怖の体感指数を引き上げる。

九天をさ迷いながら、もう心安らかに眠っているとばかり信じていた娘の怨霊が、後から知れば、主人公のターンから一番近いところ(どこなのか想像してみよう)に、いつも居合わせていたことを示す最後のシーンは、街角でよく聞かれる話(「肩の上に童子が座っていますね。道を信じてください」というような話)であるが、依然、背筋をぞっとさせる。「シャッター」は観客の予測を外れるよりは、逆に観客の予測をそのまま実現させるやり方を通して、恐怖を煽るのである。

しかし、この映画はビジュアルの重さに比べて、話の内容がやや軽いのが事実だ。怨霊が繰り広げる一連の復讐劇が「やりすぎ」ではないかという感をぬぐえ切れない。娘の怨霊が繰り広げる復讐の残忍なビジュアルに比べて、それにまつわる事情(いじめと性的嫌がらせ)は、まるでごくありふれた内容を見せてやるというような、安逸な態度で説明されているからだ。

怨霊の「ナトレ」役に扮したアチタ・シカマナは、言葉通り「怨霊顔負け」のキャスティングだ。怨霊に扮した時より、何もやらずにいる時(死ぬ前の姿)の方が100倍ぐらいもっと怖い。この女優は、まるでホラー映画のために生まれた人のようだ。この映画を見た後、なかなか消えない一つの場面があるとしたら、それは血まみれになっている怨霊の姿ではなく、その女優が無心に前方を眺めている顔が撮られている「影幀写真」だ。やっぱり、怨霊より怖いのは人だ。

バンチョン・ピサンタナクーンとパークプーム・ウォンプームの2人の新鋭監督が共同で演出し、昨年タイで一番のヒット映画になった。30日封切り、15歳以上。



sjda@donga.com