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「国のなかった時代、我々にとって祖国の軍人になるのが大きな夢だった」

「国のなかった時代、我々にとって祖国の軍人になるのが大きな夢だった」

Posted June. 27, 2005 06:18,   

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「国がなかった時代、私たちにとって、大韓民国の軍人になることは大きな夢でした。独立の後、国はさらに豊かになったものの、若年層の愛国精神が順次消えていくようで残念ですね」。白凡・金九(ベクボム、キム・ク)先生の56周忌追慕式典を1日後に控えた25日。「白凡金九記念館」の金信(キム・シン、83、写真)館長は、八十を超えた年齢にもかかわらず、元気な姿だった。

追慕式典の日程と準備作業を検討するため、朝からソウル竜山区孝昌洞(ヨンサング・ヒョチャンドン)にある記念館に出てきて、忙しい時間を送った。「白凡金九先生記念事業協会」の会長を兼任している同氏は、白凡の次男で、2男3女のうち唯一の生存者だ。1922年に中国上海で生まれた同氏は、白凡と一緒に独立運動をしながら青年時代を過ごした。

中国の空軍士官学校を卒業した後、米国へ渡り、飛行学校で留学中の途中で独立を迎えた。同氏は47年9月に帰国した後、翌年の4月、韓国が単独で政府を樹立するのを阻止するため、白凡に随行して北朝鮮入りし、当時の金日成(キム・イルソン)主席に会った。

「父に迷惑をかけたくない」として、マスコミとの接触を避けてきた同氏は、東亜(ドンア)日報とのインタビューで、これまで胸中に埋めておいた話をおよそ1時間にわたって打ち明けた。マスコミとのインタビューは94年以降初めてのこと。謙そんしながらも断固として剛直な白凡の姿に似ている金館長は「聴力がやや落ちるが、健康には大きな問題がない」と話しはじめた。

「暗うつだった日本による植民支配時代(1910〜45)と建国の初期に、一部指導者が民族を裏切って楽に暮らしているとき、父は民族に対する心配を一日もとめた日がありませんでした」。同氏は、暗殺からおよそ20年後に白凡の銅像が南山(ナムサン)に設けられて以降、3年前に記念館が完工したのを契機に、父の「愛国思想」を伝えることに力を注いている、と話した。

対話を交わしていた金館長は「最近の若者たちが軍に入隊しないため、躊躇せずに国籍を放棄しているというが、遺憾に思えてならない」と述べ、やや激昂した表情になった。同氏は「愛国精神は、感情的な民族主義とは異なる」とし、「国を支え、発展させる力である愛国精神が蘇られるように、後世の教育に全力を尽くすのが、56年前に銃撃されて亡くなった父の信念を受け継ぐこと」だと強調した。

また、韓日関係について、同氏は「明らかな事実は、日本は加害者で、韓国は被害者である点」だとし、「最近の韓日首脳会談を通じて分かったように、日本は依然として過ちを認めずにいる」と指摘した。最近、中国で展開しつつある「白凡再照明運動」へ話題を変えると、金館長の表情がはるかに明るくなった。

「中国のインターネットサイトに、父のことを、抗日運動の同志と表現する文が、たくさん掲載されているんです。いくつかのテレビ局では、父に関連したドキュメンタリーとドラマを作っています」。同氏は「中国が9月3日を反ファシスト・抗日運動の勝利60周年にし、大々的な準備をしているが、中国で吹いている再照明運動が韓国の独立60周年と噛みあって、韓中関係をさらに深める契機になったらいい、と思っている」と話した。



weappon@donga.com