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[オピニオン]「ファッショ検察」、「走狗警察」

[オピニオン]「ファッショ検察」、「走狗警察」

Posted June. 21, 2005 07:43,   

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捜査権の独立は、検察と警察の古くからの論争だ。歴代大統領候補たちは、15万の警察を意識して、選挙の度に警察捜査権の独立を公約した。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は、直接討論に参加してでも結論を出すという意志を明らかにした。しかし、両者の見解の違いがあまりにも大きく、うまく調整されるかは未知数だ。形事訴訟法と政府組織法を改正しなければならないため、結局は国会で決着をつけなければならない事案である。国会議員たちは、検警幹部の電話と訪問で忙しいという。

◆検察が国会議員たちに回した報告書には、「警察は、日帝支配の時から弾圧の道具として使われ、光復(クァンボク)後には植民警察の従事者たちを再び採用した」という内容が盛り込まれている。日帝強占期には、警察だけでなく検察と判事も朝鮮総督府所属だった。植民地警察と検察出身のうち、相当数が建国過程でそのまま残されたことも大きな差がない。検察はつまらない系図攻勢を繰り広げるのではなく、今日の四面楚歌を呼んだ傲慢と独走を謙虚に反省することだ。

◆警察は、ロビーに強い。警察署別に地域出身の国会議員招請講演会を開いて、警察幹部たちが列をなして国会議員を捜し回る。警察は「検察が捜査すれば漢江の水に溺れ死ぬ。何が人権の砦だ」と言う。しかし、警察に捜査権を一挙にすべて渡す制度変更を不安がる国民も少なくないことも事実だ。警察は、資質と倫理意識が検察より優れていると言えるのか、自ら振り返ることだ。

◆検警捜査権調整諮問委員会の金イルス(高麗大学教授)委員長は、「道路交通法違反や窃盗のような民生犯罪に限定して、警察の独自的捜査権を認める方向で意見を集めようというムードだったが、原点に戻った」と経過を説明した。捜査主導権がどの機関にあるかは、その国の社会・文化的背景によって異なる。迅速で公正な捜査が可能な制度なら、検察であれ警察であれ問題ない。「ファッショ検察」や「走狗警察」と言って争うことは、自分の顔につばを吐きかけるも同然である。

黄鎬澤(ファン・ホテク)論説委員 hthwang@donga.com