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文化財包装名人、金ホンシク研究官

Posted May. 28, 2005 03:16,   

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金研究官は32年間の博物館生活を終え、6月30日に停年退職する。現在は「休暇中」だ。

しかし、26日にソウル徳寿宮(トクスグン)で会った金研究官は相変らず文化財を包装していた。8月15日景福宮(キョンボクグン)に席を移して、国立古宮博物館に新しく開館する徳寿宮・宮廷遺物展示館の遺物包装を手伝っているのだ。今月初めには全羅北道全州(チョンラプクド・チョンジュ)へ行って、国立全州博物館・特別展に出品される朝鮮(チョンソン)時代の太祖李成桂(テジョ、イ・ソンゲ)の御真(王様の肖像画)を包装したりした。

最近、金研究官が力を傾けたのは、やはりソウル龍山(ヨンサン)の新しい国立中央博物館(10月28日開館予定)に遺物を包装して移したことだ。なかでも国宝126号の釈迦塔出土の舍利函(8世紀半ば)包装が一番難しかったという。舍利函の角にかかっている小さな瓔珞(飾り物)のためだった。

「あまりにも古い瓔珞で風が少し吹いても落ちます。それを固定させることは簡単ではありません。何回も包装してみましたが、それでも心配でした。方法を捜すため1週間、毎日午前7時に出勤して2時間ずつ遺物を観察しました。悩んだ末に薄い中性紙を巻いて飾り物の横に柱を建てて飾り物と柱をまた紙で固定させました。その作業だけで2日間がかかりましたね」

金研究官が博物館に入ったのは1973年。大学を中退して、事業に失敗した後、中央博物館の遺物科に臨時雇用職で就職した。

「最初は掃除ばかりしたんです。文化財が分からないと何度も叱られました。しかし、一生懸命に文化財を勉強して3年ほど経ってから、いよいよ遺物を触っても良いという許諾を得ました」

このようにして文化財の人生が始まった。1978年に試験を受けて学芸職になった。1979年、米国のワシントンやニューヨークなどで開かれた『韓国美術5000年展』出品文化財を扱いながら本格的に包装に跳びこんだ。

「その時、米国に文化財包装専門家がいるということを初めて知ったんです。びっくりしました。一度挑戦してみなきゃという気がしました」

1979年には金冠包装に1週間がかかったが、今は30分でいいほど包装の達人になった。

「最初は金冠の後ろの連結部位を解いて平面に広げておいて包装しました。しかし、今はぴったりのフレームを作ってそこに挟んで包装すれば済みます。普通の人が金冠を持ち上げるなら、多くの飾り物が搖れて金版がだぶつくでしょうが、私は片手でも飾り物一つ動かさず持ち上げることができます。長い間遺物を触ってみてノウハウがわかってきたのです」

金研究官の遺物包装の実力は世界的な水準だ。1998年、米国のメトロポリタン博物館の韓国室開館・特別展出品のために国宝、宝物級の文化財300点余りを包装したときだった。当時、メトロポリタン博物館のある職員がソウルで金研究官の遺物包装を見守った後、メトロポリタン博物館に来て働くことを提案した。この話を聞いた鄭良謨(チョン・ヤンモ)中央博物館館長(当時)が「NO」ときっぱり断った。世界的な文化財包装専門家を逃すことができないということだった。博物館は2002年、金研究官が停年を迎えたとき、学芸研究官に特別昇進させて停年を3年延長させた。

金研究官が言う文化財包装の魅力は簡単だ。「家を離れた遺物が無事に帰ってくる姿を眺めること」が包装の醍醐味と言う。

これまで一番困難だったのは文化財包装に対する認識不足だった。金研究官は「韓国の文化財包装の実力はもう世界最高級なのに、博物館内外にまだ専門家と認めない傾向がある」と残念がった。それで金研究官はより一層、後輩たちを育てようとする。現在、数十人の若者たちが金研究官から遺物包装を学んでいる。

金研究官は7月、ソウル鍾路区堅志洞(チョンログ・キョンジドン)にある曹渓宗(チョゲジョン)仏教中央博物館に席を移す。業務はやっぱり文化財の包装だ。



李光杓 kplee@donga.com