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私の内に花を咲かせたら、世の中が花園になった

私の内に花を咲かせたら、世の中が花園になった

Posted May. 14, 2005 00:31,   

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毎年5月の「お釈迦さまの誕生日」の前には、仏教関係の出版ラッシュがある。今年は経典を紹介したり、著名な僧侶の言葉を並べたりしていた従来の傾向から脱皮し、生活の中での実践や悟りの意味を考え直そうという本が目立つ。禅や瞑想が宗教の域を越え、ストレスの軽減や心の癒しにつながるという認識が広がっていることを反映しての結果だ。裏返すとそれだけに心を癒されず、彷徨う現代人が多いということになるだろう。

人間は皆幸福を夢見る。しかし、その幸せとはいったい何であり、どうすれば得られるのだろうか。最近の流行語のように、10億ウォンがあれば幸せだろうか。しかし、食べて生きるだけでは満足できないのが人間だ。傍目には何一つ不自由なさそうに見える人でも自殺する世の中ではないか。ならば、幸せとは何だろう。

知恵を話した多くの先覚者が、幸せの条件は外部ではなく内部にあることを異口同音で強調する。人間の「心」と「考え」が幸不幸を左右するということを。

『心を変えたところに幸せが微笑む』は、生活仏教や実践仏教を目指し1951年に生まれた仏教宗派の真覚宗と縁があって信徒の教化活動に力を注いでいる人による著書だ。布教の現場で会った平凡な人々が、心を変えるだけで人生がいかに変わってきたかを紹介している。

姑にいじめられる嫁、浮気する夫のことで悩む妻、ある日突然家族に降りかかる病魔、事業の失敗、借金の保証でいきなり経済的に困っている人など、誰もが経験しそうな人生の分かれ道で、怒りや憎しみ、絶望、自責といった否定的な考え方を、許しや理解、同情、希望のような肯定的なものに切り替えたところ、地獄同然だった生活から平穏や幸せに満ちた状態に変わった44の事例が登場する。

著者が専門的な作家ではないため、時々因果関係がしっかりしておらず、粗悪で荒いところもあるが、リアリティーや生動が感じられて、幸せとは遠くではなく身近にあるという古い知恵に気づかされる。

しかし、考えを変えることはたやすいことではない。殉教より背教が難しいという言葉があるほど、考えを変えるのが命を捨てるより難しい場合もある。

考えを変えるには知識ではなく自分ならではの特別な体験や経験、すなわち修行が必要だと訴えているのが、『参禅日記』だ。「眠っている私を目覚めさせる100日間の心の勉強」という副題が付く同本は、スペイン文学博士でもある著者が参禅修行の世界に接し、20年以上積み重ねてきた知識より100日間の心の勉強が大きかったと打ち明かす日記だ。

最初は本から得た知識を基に参禅を試みては、真っ暗な絶壁にぶつかったり、早く悟りたいという焦りを現わしたりする、繰り返される試行錯誤のあげく、心をありのまま眺めるようになった著者は、自分が回避していた子供の頃の傷を受け入れ、生涯付きまとう葛藤と苦痛を無くそうと努めるより、それらをあるがままに抱き合う。

そうして悟りや幸せは遠くではなく自分の中にある本当の心を捜すことという素朴な真理に気付くことになる。100日の参禅を終えて、末尾に記した著者の言葉には、真の幸せについての素朴であるものの深い悟りが込められている。

「赤ん坊をおんぶして赤ん坊を探すとか、牛に乗って牛を探すというけど、結局自分の中にあるものを探し回っていたのだから…。禅を直接やって見たらその原理は簡単だった。探し求めるものは外ではなく、内にある。内にあるのから、それでいい。なかで確認すれば、普通に住めば良い。すでにあるものだから、外で求めない。求めないから、引っかかるものもない。内を覗いてみると、視線が雨になって降る。雨に濡れた花の種がうごめいては覚める。ふと自分を見て明るく笑う花と目があう」



angelhuh@donga.com