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[オピニオン]論介の影幀

Posted May. 11, 2005 23:20,   

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「神々しい怒りは/宗教よりも深く/強い情熱は/愛よりも強い/あ!ツルナシインゲンマメの花よりももっと青い/その波の上に/ケシの花よりももっと赤い/その心流れよ/…」

詩人の卞榮魯(ビョン・ヨンロ)は義妓論介(ノンゲ)の憂国忠節をこのように歌った。1593年晋州城(チンジュソン)が敵国に踏みにじられるとき、敵の将軍を誘引して彼を抱いて南江(ナムカン)に身を投げた、悲壮で切ない歴史がこの詩に盛り込まれている。

◆口伝えとなった論介の忠節が文献に登場したのは1620年頃だ。柳夢寅(ユ・モンイン)が『於于野談』に初めて記録したという。晋州の人々が論介が身を投げた岩に義巌という字を刻んだこともあの頃だと言う。その後1739年晋州城に論介の祠である義妓祠が立てられて1868年には追悼行事である義巌別祭が行われて今日に至る。今年も義巌別除を受け継いだ晋州論介祭が今月27日から3日間開かれる。

◆意味深いこの行事を控えて、一昨日晋州地域の一部市民団体会員が義妓祠に押しかけて管理所職員たちの制止にもかかわらず、論介の影幀を外した。影幀を描いた以堂・金殷鎬(キム・ウンホ)が親日画家という理由で、護国の聖地である晋州城の中に親日の跡を残すことはできないという主張だ。この前は似ている理由で梅軒・尹奉吉(メホン、ユン・ボンギル)義士の祠の懸板がおなじ羽目になったりした。

◆以堂は我が国の近現代画壇の大きな軸の一人だ。真心で弟子を育てた芸術家という評価も受ける。白潤文(ペク・ユンムン)、金基昶(キム・ギチャン)、張遇聖(チャン・ウソン)、李惟台(イ・ユテ)、韓維東(ハン・ユドン)など以堂の弟子たちが韓国画壇の大きな脈を成している。以堂が親日画家の束縛から自由でないことは事実だ。日本植民地時代、親日美術団体で活動しており、日本軍国主義に同調する作品も残した。しかし過去の清算はそこから教訓を得る「未来のための生産的作業」でなければならない。根底から壊して踏み付けるばかりで得られることが何だろうか。中国の文化革命がしきりに思い出される昨今である。

宋大根(ソン・デグン)論説委員 dksong@donga.com