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[オピニオン]頭髪の自由

Posted May. 10, 2005 23:23,   

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中・高校生がいる家で毎朝大声がしたら、2つのうちの1つである公算が高い。「起きなさい」か、もしくは「髪の手入れもほどほどにしなさい」だ。短い髪の毛を立てたり寝かしたり、気分と流行によって変化をつける息子、朝食を抜いて遅刻をしても、3000回は髪をきれいにブラッシングしてから家を出る娘のために、母親は大声で叫ぶしかない。「勉強もそれぐらいしなさい。」

◆制服を着た中・高校生たちにとって、ヘアスタイルは自分を表現できる唯一のボディ・ポリティックス(body politics)だ。英国の女王エリザベス1世が、ひたいを出した青白い顔で「私は英国と結婚した」と言って統治権を宣言したように、彼らは自分の意志どおりに操れる大切な資産である髪の毛で、アイデンティティを表現する。彼らにとって、1.5cmのスポーツ刈りや、耳の下5cmのおかっぱの強制規定が、監獄に閉じこめられるより窮屈なのかも知れない。

◆頭髪制限廃止運動を広げる青少年たちは、学校が学生を刑務所の服役者のように規律と統制の対象と見るために、画一的な頭髪規定を強要すると主張する。勉強の妨害になると教師は説明するものの、実は自分たちが過去にやらされたことを学生に対して腹いせ、または復讐するといった「告発」もある。実際に、頭の真ん中に高速道路が走る写真を見れば、学生たちの主張が過激だとだけは言えない。いくら未成年でも、教師の権威によって強制的に髪を刈られた彼らの侮蔑感や怒り、敵意が、過去の権威主義時代に抑圧された民衆のそれよりも小さいとは言えない。このような頭髪の取り締まりは、教育的指導ではなく、青少年への虐待であり人権侵害である。

◆問題は、1.5cmが正しいか正しくないかではなく、それが「学校構成員が決めた規定」なのかどうかにある。頭髪の自由に関する民主市民教育をするには、学生たちに討論と合意の過程を与え、その結果を自ら守るようにするのが望ましい。外国でも、学生らしいボディ・ポリティックスは、自我尊重感を与え、周辺から高評価を受けているという研究結果がある。「外見も戦略」という言葉は、学生たちにも例外ではない。

金順徳(キム・スンドク)論説委員yuri@donga.com