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[社説]教育部、世界が見えないのか

Posted May. 03, 2005 23:19,   

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新しい入試制度が導入され、そのために教育現場が動揺する状況が再現されている。内申を重視する08年度入試制度は、高校1年生を無限の競争に追いこみ、同級生を敵と見る「内申戦争」を引き起こしている。入試政策が変わる度に、なぜこのような試行錯誤が繰り返されるのか、根本的な原因をよく考えなければならない時だ。

韓国の入試制度の軸は、大学別本考査、修学能力試験、内申書の順に移動してきた。政府は、本考査が「私教育の主犯」として本考査を廃止し、修学能力試験を導入したが、今回は修学能力試験が私教育を煽るとして、内申書重視の入試を実施するという。

入試制度を幾度も変える間に、受験過熱と個人負担の教育費問題は、果たして解消されたのだろうか。修学能力試験の導入後、受験競争はさらに激しくなった。新しい入試制度の下では、受験生はすべての科目に備えなければならないため、私教育の需要がむしろ増加した。土をはらって土をつけるような格好である。入試制度を変えれば教育問題が改善するという考えは、誤った幻想であることが、立証されたのだ。

韓国のように、政府が乗り出して入試制度を何度も変える国はない。新しい入試制度で、教育当局は、「内申書重視の入試」という全体方向を決め、修学能力試験を等級制に変えて、弁別力を落とした。大学別の本考査については、「絶対禁止」を固守している。大学の学生選抜権を縛り付けたと言っても過言ではない。

今回の混乱は政府が自ら招いたことだが、そのような危機意識さえ感じることができないのは、情けないことだ。今回の事態は、大学の自律に任せるべき入試を、政府が手を出したことで招いたということを、教育当局は自覚すべきである。

各国が、大学の学生選抜権を尊重することは、人才の発掘と育成のために最善の方法だからである。多様な才能の所持者と疎外階層に対する配慮も大学に任せた方が、画一性から脱する道である。政府は、世界の流れとは反対に介入を増やし、副作用を量産して、教育の競争力を後退させている。金振杓(キム・ジンピョ)教育副首相は就任後、世界的な名門大学を15校育成するという目標を掲げた。彼と政府は果たして世界が見えているのだろうか。