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死闘の連続…食料・燃料も捨てて歩き続けた

死闘の連続…食料・燃料も捨てて歩き続けた

Posted May. 01, 2005 23:50,   

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一歩、また一歩…。

隊員たちは狂ったように叫んだ。一番若い鄭賛一(チョン・チャンイル、25)隊員は、大声を出して泣き崩れた。北緯89度59.997分、59.998分…。そして北緯90度00.000。

「気が気でなかったんです。北極に一歩一歩近づくにつれて、足ががたがたと震えてきました。衛星GPS(全地球測位システム)に北極がくっきりと表示された瞬間、座り込んでしまいました。」

1日午前4時45分(グリニッチ標準時刻4月30日19時45分)。朴英碩(パク・ヨンソク、42、ゴールドウィンコリア取締役、東国大山岳部OB)探検隊長と洪成澤(ホン・ソンテク、39、(株)大韓論理速読)、呉煕俊(オ・ヒジュン、35、ヨンチョン山岳会)、鄭賛一(2005年龍仁大卒)隊員らは、そうやって北極点に立った。

しばらくしてから、隊員たちは、肩を組んで氷を叩き潰すほどの勢いで足音を立てながら飛び回った。54日の間、恐ろしいほどの寒さのなかで、命がけで前進を続けたのは、まさにこの瞬間のためだったのだ。

現地の気温は氷点下22度。大韓民国遠征隊の北極点到達を祝うように、空は一点の雲もなく晴れていた。遠征期間を通して体を吹き飛ばすかのように吹き荒れていた秒速14m以上のブリザードも、表面が鋭く隆起し100kgを超えるソリを引くのに死闘を続けた難航氷域も、一瞬にして隊員たちを飲み込んだ真っ黒の海水がそのまま姿を現したリードも、北極点にはなかった。

しかし極地到達を1日後に控えた先月30日まで、セドナ(Sedona・エスキモーの説話に登場する海の女神)の妨害は酷かった。強い西風でアイスバーが動いたため、しばらくは東の方に押し流された。

隊員たちは、必死で北極点に向かって歩き出した。急いだあまり、隊員の洪氏がリードに落ちることもあったが、3時間テントを張って服を乾かしてから、すぐに遠征を再開した。長い遠征で体力は完全燃焼していたが、精神力にかけた。

54日間の遠征期間中、最大の難関は北緯86度と87度の間。85度を出発してから8日目に86度を突破した。しかし、この区間を通るのには12日間がかかった。途中、一度は87度地点に到着しテントを張ったが、夜の間に、表面が10kmほど押し流され、再び出直さなければならなかった。

速度を上げるためには荷物を軽くしなければならなかった。結局、遠征隊は残った食料の半分と燃料の3分の1を捨ててまで、ソリを軽くする「冒険」を強行した。このため、隊員たちは燃料を節約するため、テントの中でも寒さに震えながら一日200gの乾燥食料でつないだ。

隊員たちの健康状態は最悪だ。顔と手足は全員が凍傷にかかっていた。朴隊長は膝を、洪隊員は足首に痛みを訴えている。今、遠征隊に残されている食料は2日分だけだ。飛行機の出発が遅延した場合、飢えなければならない。

同日、レゾリュートのベースキャンプには朴隊長夫人のホン・ギョンヒさん(42)と次男のソンミン君(10)、朴隊長の友人である漫画家のホ・ヨンマン氏が到着し、遠征隊の帰還を待っている。



jeon@donga.com