Go to contents

[オピニオン]ブランド・マンション

Posted May. 01, 2005 23:32,   

한국어

「上る、上る、また上る」。ヒマラヤ遠征隊の覚悟でも、物価へのため息でもない。ブランド・マンションさえ買えば、財テクが保障されるという広告のコピーだ。ブランドが流行すればマンションの人気が高まるというのは、最近の建設業界の定説だ。位置と設計が似通った32坪マンションの値段が、ブランドによって9000万ウォンの差がつくという報道もあった。分譲価格の自律化時代、差別化がキーワードのウェル・ビーイング時代に、マンション財テクの伝統と名品趣向の熱風が合わさってできた新しい風俗図である。

◆他人が名品の中で暮らそうが、知ったことではない。しかし、生活のねぐらとなる家まで、名品の風にさらされる風潮は残念だ。そのため、ただでさえ高いマンション価格がさらに跳ね上がり、文化的に貧しい都市が、さらに歪んでいくのは悲しいことだ。しかし、大型建設会社とマスコミの執拗なマーケティング攻勢で、ブランド・マンションは高品格の住居文化の表象として浮上している。

◆良い家と都市は、木と森のようなものだと私は信じる。土地は木を育て、木は森となり、森は土地を肥やす。ブランド・マンションは、森を切り取って、商売屋が植えた「由緒」がある木だ。その「由緒」の権威は、森の外からやって来る。「キャッスル」、「リジェンシ」、「貴族」、「上流層」、「個性」が追求するイメージだ。しかし、中途半端な複製品であるに過ぎず、文化の香りはない。

◆イメージの価値が付け加えられ、ブランド・マンションは、いっそう有価証券、株式、宝石に似ていく。そのため、財テクにはさらに有用となるが、そうであればあるほど土地に由来するのである。ブランド・マンションは、ただ統計と財テクを基準にし、文化のないマンション団地を大量生産してきた歴史の産物である。それにもかかわらず、私たちはいまや新都市、新行政都市までブランド商品にし、財テクを煽ろうとする。そうやって荒廃していくのは、町や都市や国土だけではない。私たちの文化、私たちの心も共に荒廃する。苗木展示場が健康な森に取って代わることはできないのである。

康泓彬(カン・ホンビン)客員論説委員(ソウル市立大学教授、都市計画学)hbkang@uos.ac.kr