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[オピニオン]参戦勇士、その後

Posted April. 25, 2005 23:21,   

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ポークチャップ、クリスマス、ネバダー、グロースターバレー、ポンチボール、ハートブレーク…。

外国の地名ではない。韓国戦争のときに激戦があった所の英語地名だ。いずれも戦史に出るほど有名だ。英語地名は、国連軍の旗の下に集まった参戦16ヵ国の存在を改めて考えさせる。

◆外国を助けるために軍隊を派遣することは高度の外交行為だ。自国の若者の「血」を捧げなければならない。血盟というのはそれだから特別なのだ。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が最近トルコを訪問した際、トルコは「カンカールデシ」(血を分けた兄弟国家)という言葉で盧大統領を歓迎した。しかし血盟国への負担は重い。盧大統領は昨年11月、チリのサンチエゴでのアジア太平洋経済協力体(APEC)の首脳会議に参加した後、帰国の途に米国のハワイに立ち寄った。しかし、宿泊先近くの韓国戦争参戦勇士の墓地を尋ねなかった。米国の軍出身人士が残念がったという話が聞こえてきた。

◆ある英国人の韓国戦争参戦勇士の「帰郷」が、私たちの襟を正させた。スコット・ベインブリジ氏。昨年3月71歳で亡くなり、韓国に遺灰を撒いてくれと遺言で言い残した。白髪の戦友たちが彼の遺灰を抱いて韓国入りし、24日にベインブリジ氏が中国軍と対峙して戦った京畿道坡州市(キョンギド)の重城山(ジュンソンサン)高地に撤いた。生前に韓国を訪問したベインブリジ氏は、韓国の発展の姿に深い感銘を受けて「私が韓国の地に埋められれば、当時流された血や肉身と一つになれる」と言ったという。

◆そうであるかと思えば、韓国を去る勇士の家族もいる。2002年、北朝鮮軍との西海交戦のとき戦死した故ハン・サングク中佐の夫人、金ジョンソンさん(33)。金さんは同日、涙を流しながら一人で米国に発った。「私が望んだのは経済的補償ではなく、国を守って殉職した人々に対する政府と国民の愛情でした。戦死または負傷した軍人たちに対する無関心と冷遇が続けば、果して誰が戦地で命をかけて戦うでしょうか。」ベインブリジ氏を呼び入れたのも韓国なら、金さんを海外へ行かせたのも韓国だ。金さんの幸せを祈る。

沈揆先(シム・ギュソン)論説委員 ksshim@donga.com