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[社説]ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が残したもの

[社説]ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が残したもの

Posted April. 04, 2005 00:24,   

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ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が昨日未明に死去し、神のもとに戻った。平和と和解の使徒だった法王の足跡は、ローマ・カトリック教会史はもとより、偉大な宗教指導者として世界史に記録されるだろう。法王は、世界11億人のカトリック信徒の指導者を超え、60億人類の精神的指導者であった。

カトリックの周縁とも言えるポーランド生まれの彼が法王に選出されたのは、神の摂理であり啓示であった。彼は、共産圏初であり、非イタリア出身では455年ぶりにローマ法王になった。即位1年後、ローマ法王は故国ポーランドを突然訪問して、ワレサが率いる自主管理労組「連帯」への支持を宣言した。ポーランド共産体制は、約1年後に崩壊した。炎のように広がる自由化の波は、東欧旧体制の崩壊につながり、70年間に渡った20世紀冷戦の終焉をもたらした。

ローマ法王は26年の在任期間中、104回に渡って129ヵ国を訪れ、特にパレスチナなどの紛争地域で、和解と愛のメッセージを伝えた平和の巡礼者だった。また、トルコ人異教徒から狙撃されたが、犯人を許した愛の実践家でもあった。1984、89年に2度に渡って韓国を訪れ、第44回世界聖体大会を主宰するなど、世界で唯一、外国人宣教師が派遣されない状態で福音が伝えられた韓国にも、格別の愛情を示した。

ローマ法王は特に、ローマ・カトリック教会が行なった過去の過ちを懺悔した勇気ある信仰者だった。中世の十字軍遠征や宗教裁判、ユダヤ人迫害を公けに懺悔し、地動説を主張したガリレイを復権させた。また、他の宗教にも「真理の種」があることを認めた。

約2000年前、使徒ペトロは迫害を避けてローマを去ったが、復活したキリストに会って「主よ、何処へ行きたもう(Quo Vadis, Domine)」と尋ねた。「私の羊たちのために、また十字架にかかるために行く」という返事に衝撃を受けたペトロは、再びローマに戻って、民衆と苦痛を分かち合って殉教し、初代ローマ法王になった。

もはや人類は、キリストのもとに戻った第264代ローマ法王ヨハネ・パウロ2世に向かって問い、実践しなければならない。「法王よ、何処に行きたもう(Quo Vadis, Papa)」。