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[社説]国民とともに「国家の道」を探求する

[社説]国民とともに「国家の道」を探求する

Posted March. 31, 2005 23:24,   

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東亜(トンア)日報が今日、創刊85周年を迎えた。国権を失った時代の韓国語の新聞として、「民族の表現機関」を自任して、「民主主義と文化主義」を提唱した創刊精神を振り返ってみよう。本紙は創刊された1920年から1936年までにかけて、日帝によって4度も無期停刊の憂き目にあい、1940年8月10日には強制廃刊に追い込まれた。同胞の一筋の光たろうとした東亜日報の苦難は、過酷な植民地時代の避けられない宿命だった。

光復(クァンボク、独立)後に復刊した東亜日報は、大韓民国樹立と反独裁民主化、市場経済の実現と国利民福の増進という召命に応じようと、不断の努力を続けてきたと自負する。しかし、亡国と独裁の時代を経て、正論直筆を守ることができなかった過去があったことも恥じ、自省する。我々は、起伏に富んだ歴史の栄辱を振り返り、再び創刊精神をかみしめて、読者と国民と未来に向かって進もうと思う。

今年は乙巳条約100周年、光復60周年の年だ。日本の独島(ドクト、日本名竹島)挑発と歴史歪曲は「条約の悪夢」が終わっていないことを悟らせ、南北をめぐる現実は、光復が未完であることを物語る。そして、今この国は、荒波に包まれている。大韓民国のアイデンティティの現住所を問う「文化革命的流れ」があり、北東アジア秩序の再編をめぐる挑戦と応戦が渦巻く。国を丸ごと飲み込むような荒波は、1世紀前の激動を思い起こさせる。

韓国は、南北分断を踏み超えて、産業化と民主化を成し遂げた。南と北の「敵対的依存関係」の中で、韓国は驚異的な圧縮成長を果たしたが、経済発展は民主化欲求と必然的に衝突した。1987年6月の民主抗争は、手続き的民主主義確立の分水嶺になった。しかし、韓国社会に内在した前近代的価値や慣行、時代錯誤的な理念実験の動き、慢性した地域分割の政治構図は、自由民主主義の完成にさらに多くの痛みを要求している。

盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の発足は、新しい可能性とさらなる不安の「同時スタートライン」だった。盧大統領が「帝王的大統領」の権威主義から脱却しようとして、「政経癒着と腐敗の鎖を断ち切ろうとした点は、評価に値する。しかし、価値の多様性を認めるよりも、「時代的価値」を独占しようとして、歴史発展段階の中の産業化の時期を「否定して清算しなければならない期間」と見なす独善が、衝突と分裂の傷を深めた。主流交替の欲求が過度に表出して、国政の安全性を揺さぶり、政治混乱と政策漂流、社会葛藤を増幅させた。

社会の中の理念偏向、理念過剰は、安保と経済の不確実性を深化させた。観念的な親北反米、局所増大を阻害する反企業感情と分配主義、国家競争力の危機を煽る下向平準化式の平等主義などがそれである。このような理念的志向が、既存価値に対する破壊症侯群と絡み合って、大韓民国のアイデンティティを否定する気流まで生んでいる。韓国史を自虐してさげすんだり、これを煽る行為が教育現場にまで浸透することも、いわゆる新主流の独善的価値志向と無関係ではない。健全な変化欲求を歪曲する文化革命的流れを、続けて拡大再生産した場合、その対価として払わなければならない国家・社会的危険は、経済難以上のものになると憂慮される。

これを正す第一歩は、歴史を否定と清算の対象ではなく、発展的継承と昇華の教材とみなすことだ。歴史の明暗から教訓を探すことは正しい。しかし、今日の韓国は、昨日の血と汗があったからこそ存在する。国力伸張も民主発展も政権交代も、この国を貧しさから脱出させた経済跳躍を果たしたために可能だった。一時代の開発独裁も、資本の独寡占も、当時の条件と状況では国家と国民の生存のための有效な面があった。過去に対する一方的な否定ではなく、捨てるものと受け継ぐものとを賢明に分別する指導力と国民的知恵を通じて、より正しい国、より丈夫な国を築かなければならない。

北東アジア秩序再編の急流にいかに対処するのか。盧大統領は、韓国の均衡者役割を強調した。しかし、周辺大国との力学関係を見つめ、緻密な戦略と確固な舵を握っているのか疑問である。均衡者論は自主国防論とともに、国民に自負心を感じさせるかもしれないが、冷静に言って空虚であり、危険でもある。盧大統領が国内政治で見せてきたように、ポピュリズム的発想で外交問題を扱おうとするなら、これに伴う試行錯誤は、国内問題の比ではないほどの国益損傷をもたらすのではないかと心配される。

今、韓米同盟は急速に緩み出している。韓国にとって北朝鮮は「敵であり同族」であるという二重性があるだけに、北朝鮮核問題を世界戦略の一部と認識する米国と意見の食い違いはあり得る。しかし、韓米同盟が戻れない川を渡ってしまった場合、韓国は「北東アジア秩序の均衡者」ではなく、「北東アジアの孤独者」になる恐れがある。これが、国際秩序の冷酷な現実である。日米同盟が強化されつつある中で、韓国はどの周辺大国とも確実な信頼関係を構築できないことを恐れなければならない。

いかなる政権も、国家と国民の利益、すなわち国益よりも政権の利益を上位に置いてはならない。改革は革命ではなく、静かな革新と改善でなければならない。保守すべき価値まで破壊することは、真正な進歩ではない。国益がかかった問題を、荒く拙速に臨床実験しようとしては、国運の衰落を阻止することは難しい。世界化の中での無限競争と米国の一極体制の国際力学の中で、いかなる道を歩めば、国の安全と国民の幸福を守ることができるのか、冷徹で現実的な眼と実用的な政策で、国家の力量を結集させなければならない。

東亜日報は、国内外の荒波と重い国家の課題を直視し、韓国が進む正しい進路を、国民とともに追求しようとする。常に当代の権力の逸脱を監視し、国民の知る権利を守るために行動し、多様な意見を疎通させて、国家利益と国民の福祉に符合する中心価値を築いていく。イデオロギー的偏向を排撃して、真の自由民主主義と市場経済の実現に寄与しつつ、南北平和統一の大道を模索する。我々は、より健全な国家を作るために、さらに悩むだろう。このような努力こそ、85年間本紙を声援してくれた国民への報いであると同時に、読者からより大きな信頼と愛を受けて、新聞の未来を開いてく道であると信じる。