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サッカーは野蛮と欲望の戦場

Posted March. 18, 2005 22:19,   

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韓国と日本の国家代表チームのサッカー試合は、どうしてただのスポーツとしてだけで見ないのだろうか。日本の独島(トクド)領有権妄言で両国関係が悪化しているこの頃、両国の応援団が「安心して」一つの競技場に集まることができるだろうか。

この問いに答えるためには、韓国と日本の文化的、民族的、歴史的関係から把握しなければならない。この本は、このようにサッカーの裏に隠れている民族、人種、文化的イデオロギーを取り上げた。韓日関係は取り上げなかったが、著者はサッカーを通じてセルビアとクロアティアの人種紛争、スコットランドのカトリックと新教の葛藤、スペインのカタルーニャ民族主義、イタリアのスポーツと政治の癒着などを暴き出す。

著者にとってサッカーはスポーツではなく、人間内部からの欲望と野蛮だけの戦場だ。燃え上がる目と荒いタックル、汗と血の飛ぶ体当りけんかがサッカーの魅力だが、このような姿そのものが、人間の身の毛のよだつ本質であることもできる、とこの本で語る。

セルビアにあるサッカーチーム「レッドスターベオグラード」のフーリガン(狂的なサッカーファン)は、気に入らない選手たちを棒で殴りつけるほど荒っぽい。「ウルトラバッドボーイズ」と呼ばれる人々は、極端なセルビア民族主義に火をつけたスロボタン・ミロシェビッチ(前ユーゴ大統領)氏の突撃部隊となって、人種掃除の代理者としても活動した。セルビアとクロアティアチームの試合がある日は、両チームのファンは自分たちがやらかした殺りくを正当化する内容の応援歌を作って歌う。

イギリスのグラスゴーを本拠地とする「カトリックセルティック」と「グラスゴーレンジャーズ」のファンは競技場でお互いに対する憎悪の歌を叫ぶ。双方の葛藤はカトリックと改新教間の葛藤にアイルランドとスコットランド人の間の長年の憎悪が重なっている。応援歌の歌詞は「…の血が私たちの膝を濡らす」ほど薄気味悪くて、この都市ではサッカーのため殺害された人も数人いる。

イタリアはサッカー場自体がけんかの場だ。こちらではサッカーの審判が人気がある。審判が優遇される理由は、選手たちが試合途中で荒っぽく抗議するか策略を図るからだ。

イタリアのサッカーを導く「ACミラン」と「ユベントス」チームは寡頭財閥が所有している。「ACミラン」のオーナーはシルヴィオ・ベルルスコーニ首相で、彼は不動産、マスコミ、金融界を握った後、サッカーを利用して庶民層に近付いた。彼は1980年代中盤に「ACミラン」を買い取った後、このチームが上昇の勢いを見せるや「私たちはイタリアをACミランのように作る」と述べて、支持者を集めた。

スペインの「FCバルセロナ」はカタルーニャ民族主義を代弁する。これによりフランコ総統のとき、多くの迫害を受けた。しかし、このチームのファンはバスク分離主義者たちのように場外で怒りを現わさない。著者は、これをカタルーニャ人特有の実用主義のおかげだと分析する。

著者は、保守時事週刊誌「ニューリパブリック」の記者でサッカーマニアだ。著者はジャーナリスト感覚が引き立つ具体的事例とインタビューでサッカーを暴いたが、彼が言いたいことがもう一つある。サッカーのように世界化したスポーツも葛藤の代理戦から脱することができなければ世界化は虚構ではないか、という疑問だ。原題は「How Soccer Explains The World」(2004年)。



許鎏  heo@donga.com